ノ一々彼の所業を「予言者X・Y・Zの言葉に応《かな》はせん為なり」と云ふ詭弁《きべん》を用ひなければならなかつた。のみならず畢《つひ》にかう云ふ詭弁の古い貨幣になつた後はあらゆる哲学や自然科学の力を借りなければならなかつた。クリスト教は畢竟《ひつきやう》クリストの作つた教訓主義的な文芸に過ぎない。若《も》し彼の(クリストの)ロマン主義的な色彩を除けば、トルストイの晩年の作品はこの古代の教訓主義的な作品に最も近い文芸であらう。
13[#「13」は縦中横] クリストの言葉
クリストは彼の弟子たちに「わたしは誰か?」と問ひかけてゐる。この問に答へることは困難ではない。彼はジヤアナリストであると共にジヤアナリズムの中の人物――或は「譬喩《ひゆ》」と呼ばれてゐる短篇小説の作者だつたと共に、「新約全書」と呼ばれてゐる小説的伝記の主人公だつたのである。我々は大勢のクリストたちの中にもかう云ふ事実を発見するであらう。クリストも彼の一生を彼の作品の索引につけずにはゐられない一人だつた。
14[#「14」は縦中横] 孤身
「イエス……家に入りて人に知られざらん事を願ひしが隠れ得ざりき。」――かう云ふマコの言葉は又他の伝記作者の言葉である。クリストは度たび隠れようとした。が、彼のジヤアナリズムや奇蹟は彼に人々を集まらせてゐた。彼のイエルサレムへ赴《おもむ》いたのもペテロの彼を「メシア」と呼んだ影響も全然ないことはない。しかしクリストは十二の弟子たちよりも或は橄欖《かんらん》の林だの岩の山などを愛したであらう。しかもジヤアナリズムや奇蹟を行つたのは彼の性格の力である。彼はここでも我々のやうに矛盾せずにはゐられなかつた。けれどもジヤアナリストとなつた後、彼の孤身を愛したのは疑ひのない事実である。トルストイは彼の死ぬ時に「世界中に苦しんでゐる人々は沢山ある。それをなぜわたしばかり大騒ぎをするのか?」と言つた。この名声の高まると共に自ら安じない心もちは我々にも決してない訣《わけ》ではない。クリストは名高いジヤアナリストになつた。しかし時々大工の子だつた昔を懐がつてゐたかも知れない。ゲエテはかう云ふ心もちをフアウスト自身に語らせてゐる。フアウストの第二部の第一幕は実にこの吐息の作つたものと言つても善《よ》い。が、フアウストは幸ひにも艸花《くさばな》の咲いた山の上に佇《
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