や》をしていると、いつもこの芭蕉がいちばん早く、うす暗い中からうき上がってきた。――そんなことをぼんやり考えているうちに、やがて人が減って書斎の中へはいれた。
 書斎の中には、電灯がついていたのか、それともろうそくがついていたのか、それは覚えていない。が、なんでも、外光だけではなかったようである。僕は、妙に改まった心もちで、中へはいった。そうして、岡田君が礼をしたあとで、柩の前へ行った。
 柩のそばには、松根《まつね》さんが立っている。そうして右の手を平《たいら》にして、それを臼《うす》でも挽《ひ》く時のように動かしている。礼をしたら、順々に柩の後ろをまわって、出て行ってくれという合図《あいず》だろう。
 柩は寝棺《ねかん》である。のせてある台は三尺ばかりしかない。そばに立つと、眼と鼻の間に、中が見下された。中には、細くきざんだ紙に南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》と書いたのが、雪のようにふりまいてある。先生の顔は、半ば頬《ほお》をその紙の中にうずめながら、静かに眼をつぶっていた。ちょうど蝋《ろう》ででもつくった、面型《めんがた》のような感じである。輪廓《りんかく》は、生前と少しもちがわな
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