かう言ふ薄田氏に古典主義者の名を与へながら、しかも恬然と薄田氏の拓《ひら》いた一条の大道に従つて行つた。この大道はまつ直にラフアエル前派の峰を登り、象徴主義の原野へ通じてゐる。薄田氏は予言者モオゼのやうにその原野の土を踏まなかつたかも知れない。けれども確に眼底には「夕くれなゐの明らみに黄金の岸」を見てゐたのである。予は今度「白羊宮《はくやうきう》」を読み、更にこの感を――三以下省略。

      附録一 著作年表

(イ)人――薄田泣菫氏の明治三十年以来詩人、小説家、戯曲家等を作れるは枚挙すべからず。その主なるものは下の如し。(但しアイウエオ順)芥川龍之介。――(イ)以下省略。
(ロ)詩並びに散文。――明治二十九年或は三十年に雑誌「新著月刊」に「花密蔵難見」を発表す。明治三――(ロ)以下省略。

      附録二 著者年譜

(但し逆編年順)大正十四年二月、「泣菫詩集」を上梓す。発行所大阪毎日新聞社。――附録二以下省略。



底本:「芥川龍之介全集 第十二巻」岩波書店
   1996(平成8)年10月8日発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:松永正敏
2002年5月17日作成
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