のは明らかに薄田氏自身も亦この欠点を知つてゐるからであらう。しかしその薄田氏の罪でないことは苟《いやし》くも――三以下省略。
第二部 詩人としての薄田泣菫氏
一 叙事詩人としての薄田泣菫氏
叙事詩人としての薄田泣菫氏は処女詩集たる「暮笛集」に既にその鋒芒《ほうぼう》を露はしてゐる。しかしその完成したのは「二十五絃」以後と云はなければならぬ。予は今度「葛城の神」「天馳使《あまはせつかひ》の歌」「雷神の賦」等を読み往年の感歎を新にした。試みに誰でもそれ等の中の一篇――たとへば「天馳使の歌」を読んで見るが好い。天地開闢の昔に遡つたミルトン風の幻想は如何にも雄大に描かれてゐる。日本の詩壇は薄田氏以来一篇の叙事詩をも生んでゐない。少くとも薄田氏に比するに足るほど、芸術的に完成した一篇の叙事詩をも生んでゐない。この一事を以てしても、詩人としての薄田氏の大は何ぴとにも容易に首肯出来るであらう。予は少時「葛城の神」を読み、予も亦いつかかう言ふ叙事詩の詩人になることを夢みてゐた。のみならずいつか「葛城の神」の詩人に教へを受けることを夢みてゐた。第二の夢は幸にも今日では
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