羅馬《ロオマ》の大本山《だいほんざん》、リスポアの港、羅面琴《ラベイカ》の音《ね》、巴旦杏《はたんきょう》の味、「御主《おんあるじ》、わがアニマ(霊魂)の鏡」の歌――そう云う思い出はいつのまにか、この紅毛《こうもう》の沙門《しゃもん》の心へ、懐郷《かいきょう》の悲しみを運んで来た。彼はその悲しみを払うために、そっと泥烏須《デウス》(神)の御名《みな》を唱えた。が、悲しみは消えないばかりか、前よりは一層彼の胸へ、重苦しい空気を拡げ出した。
「この国の風景は美しい――。」
 オルガンティノは反省した。
「この国の風景は美しい。気候もまず温和である。土人は、――あの黄面《こうめん》の小人《こびと》よりも、まだしも黒ん坊がましかも知れない。しかしこれも大体の気質は、親しみ易いところがある。のみならず信徒も近頃では、何万かを数えるほどになった。現にこの首府のまん中にも、こう云う寺院が聳《そび》えている。して見ればここに住んでいるのは、たとい愉快ではないにしても、不快にはならない筈ではないか? が、自分はどうかすると、憂鬱の底に沈む事がある。リスポアの市《まち》へ帰りたい、この国を去りたいと思う事
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