違いない。それから絶えず開かれる抽斗《ひきだし》。抽斗の中は銭《ぜに》ばかりである。
39[#「39」は縦中横]
前のカッフェの飾り窓。少年の姿も変りはない。しばらくの後《のち》、少年は徐《おもむ》ろに振り返り、足早《あしばや》にこちらへ歩いて来る。が、顔ばかりになった時、ちょっと立ちどまって何かを見る。多少驚きに近い表情。
40[#「40」は縦中横]
人だかりのまん中に立った糶《せ》り商人《あきゅうど》。彼は呉服《ごふく》ものをひろげた中に立ち、一本の帯をふりながら、熱心に人だかりに呼びかけている。
41[#「41」は縦中横]
彼の手に持った一本の帯。帯は前後左右に振られながら、片はしを二三尺現している。帯の模様は廓大《かくだい》した雪片《せっぺん》。雪片は次第にまわりながら、くるくる帯の外へも落ちはじめる。
42[#「42」は縦中横]
メリヤス屋の露店《ろてん》。シャツやズボン下を吊《つ》った下に婆《ばあ》さんが一人|行火《あんか》に当っている。婆さんの前にもメリヤス類。毛糸の編みものも交《まじ》っていないことはない。行火の裾《すそ》には黒猫が一匹時々前足を嘗《な》めている。
43[#「43」は縦中横]
行火の裾に坐っている黒猫。左に少年の下半身《かはんしん》も見える。黒猫も始めは変りはない。しかしいつか頭の上に流蘇《ふさ》の長いトルコ帽をかぶっている。
44[#「44」は縦中横]
「坊ちゃん、スウェエタアを一つお買いなさい。」
「僕は帽子さえ買えないんだよ。」
45[#「45」は縦中横]
メリヤス屋の露店を後ろにした、疲れたらしい少年の上半身《じょうはんしん》。少年は涙を流しはじめる。が、やっと気をとり直し、高い空を見上げながら、もう一度こちらへ歩きはじめる。
46[#「46」は縦中横]
かすかに星のかがやいた夕空。そこへ大きい顔が一つおのずからぼんやりと浮かんで来る。顔は少年の父親らしい。愛情はこもっているものの、何か無限にもの悲しい表情。しかしこの顔もしばらくの後《のち》、霧のようにどこかへ消えてしまう。
47[#「47」は縦中横]
縦《たて》に見た往来。少年はこちらへ後《うし》ろを見せたまま、この往来を歩いて行《ゆ》く。往来は余り人通りはない。少年の後ろから歩いて行く男。この男はちょっと振り返り、マスクをかけた顔を見せる。少年は一度も後ろを見ない。
48[#「48」は縦中横]
斜めに見た格子戸《こうしど》造りの家の外部。家の前には人力車《じんりきしゃ》が三台後ろ向きに止まっている。人通りはやはり沢山ない。角隠《つのかく》しをつけた花嫁《はなよめ》が一人、何人かの人々と一しょに格子戸を出、静かに前の人力車に乗る。人力車は三台とも人を乗せると、花嫁を先に走って行く。そのあとから少年の後ろ姿。格子戸の家の前に立った人々は勿論少年に目もやらない。
49[#「49」は縦中横]
「XYZ会社特製品、迷い子、文芸的映画」と書いた長方形の板。これもこの板を前後にしたサンドウィッチ・マンに変ってしまう。サンドウィッチ・マンは年をとっているものの、どこか仲店《なかみせ》を歩いていた、都会人らしい紳士に似ている。後ろは前よりも人通りは多い、いろいろの店の並んだ往来。少年はそこを通りかかり、サンドウィッチ・マンの配《くば》っている広告を一枚貰って行く。
50[#「50」は縦中横]
縦に見た前の往来。松葉杖をついた癈兵《はいへい》が一人ゆっくりと向うへ歩いて行《ゆ》く。癈兵はいつか駝鳥《だちょう》に変っている。が、しばらく歩いて行くうちにまた癈兵になってしまう。横町《よこちょう》の角《かど》にはポストが一つ。
51[#「51」は縦中横]
「急げ。急げ。いつ何時《なんどき》死ぬかも知れない。」
52[#「52」は縦中横]
往来の角《かど》に立っているポスト。ポストはいつか透明になり、無数の手紙の折り重なった円筒の内部を現して見せる。が、見る見る前のようにただのポストに変ってしまう。ポストの後ろには暗のあるばかり。
53[#「53」は縦中横]
斜めに見た芸者屋町《げいしゃやまち》。お座敷へ出る芸者が二人《ふたり》ある御神燈《ごしんとう》のともった格子戸《こうしど》を出、静かにこちらへ歩いて来る。どちらも何《なん》の表情も見せない。二人の芸者の通りすぎた後《のち》、向うへ歩いて行《ゆ》く少年の姿。少年はちょっとふり返って見る。前よりもさらに寂しい表情。少年はだんだん小さくなって行く。そこへ向うに立っていた、背《せ》の低い声色遣《こわいろつか》いが一人《ひとり》やはりこちらへ歩いて来る。彼の目《ま》のあたりへ近づいたのを見ると、どこか少年に似ていないことはない。
54[#「54」は縦中横]
大きい針金《はりがね》の環《わ》のまわりにぐるりと何本もぶら下げたかもじ[#「かもじ」に傍点]。かもじ[#「かもじ」に傍点]の中には「すき毛入り前髪《まえがみ》立て」と書いた札《ふだ》も下っている。これ等のかもじ[#「かもじ」に傍点]はいつの間《ま》にか理髪店の棒に変ってしまう。棒の後ろにも暗のあるばかり。
55[#「55」は縦中横]
理髪店の外部。大きい窓|硝子《ガラス》の向うには男女《なんにょ》が何人も動いている。少年はそこへ通りかかり、ちょっと内部を覗《のぞ》いて見る。
56[#「56」は縦中横]
頭を刈《か》っている男の横顔。これもしばらくたった後、大きい針金の環《わ》にぶら下げた何本かのかもじ[#「かもじ」に傍点]に変ってしまう。かもじ[#「かもじ」に傍点]の中に下った札《ふだ》が一枚。札には今度は「入れ毛」と書いてある。
57[#「57」は縦中横]
セセッション風に出来上った病院。少年はこちらから歩み寄り、石の階段を登って行《ゆ》く、しかし戸の中へはいったと思うと、すぐにまた階段を下《くだ》って来る。少年の左へ行った後《のち》、病院は静かにこちらへ近づき、とうとう玄関だけになってしまう。その硝子戸《ガラスど》を押しあけて外へ出て来る看護婦《かんごふ》が一人。看護婦は玄関に佇《たたず》んだまま、何か遠いものを眺めている。
58[#「58」は縦中横]
膝の上に組んだ看護婦の両手。前になった左の手には婚約の指環が一つはまっている。が、指環はおのずから急に下へ落ちてしまう。
59[#「59」は縦中横]
わずかに空を残したコンクリイトの塀。これもおのずから透明《とうめい》になり、鉄格子《てつごうし》の中に群《むらが》った何匹かの猿を現して見せる。それからまた塀全体は操《あやつ》り人形《にんぎょう》の舞台に変ってしまう。舞台はとにかく西洋じみた室内。そこに西洋人の人形が一つ怯《お》ず怯《お》ずあたりを窺《うかが》っている。覆面《ふくめん》をかけているのを見ると、この室へ忍びこんだ盗人《ぬすびと》らしい。室の隅には金庫が一つ。
60[#「60」は縦中横]
金庫をこじあけている西洋人の人形。ただしこの人形の手足についた、細い糸も何本かははっきりと見える。……
61[#「61」は縦中横]
斜めに見た前のコンクリイトの塀。塀はもう何も現していない。そこを通りすぎる少年の影。そのあとから今度は背むしの影。
62[#「62」は縦中横]
前から斜めに見おろした往来。往来の上には落ち葉が一枚風に吹かれてまわっている。そこへまた舞い下《さが》って来る前よりも小さい落葉が一枚。最後に雑誌の広告らしい紙も一枚|翻《ひるがえ》って来る。紙は生憎《あいにく》引き裂《さ》かれているらしい。が、はっきりと見えるのは「生活、正月号」と云う初号活字である。
63[#「63」は縦中横]
大きい常磐木《ときわぎ》の下にあるベンチ。木々の向うに見えているのは前の池の一部らしい。少年はそこへ歩み寄り、がっかりしたように腰をかける。それから涙を拭《ぬぐ》いはじめる。すると前の背むしが一人やはりベンチへ来て腰をかける。時々風に揺《ゆ》れる後《うし》ろの常磐木。少年はふと背むしを見つめる。が、背むしはふり返りもしない。のみならず懐《ふところ》から焼き芋を出し、がつがつしているように食いはじめる。
64[#「64」は縦中横]
焼き芋《いも》を食っている背むしの顔。
65[#「65」は縦中横]
前の常磐木《ときわぎ》のかげにあるベンチ。背むしはやはり焼き芋を食っている。少年はやっと立ち上り、頭を垂れてどこかへ歩いて行《ゆ》く。
66[#「66」は縦中横]
斜めに上から見おろしたベンチ。板を透かしたベンチの上には蟇口《がまぐち》が一つ残っている。すると誰かの手が一つそっとその蟇口をとり上げてしまう。
67[#「67」は縦中横]
前の常磐木のかげにあるベンチ。ただし今度は斜めになっている。ベンチの上には背むしが一人蟇口の中を検《しら》べている。そのうちにいつか背むしの左右に背むしが何人も現れはじめ、とうとうしまいにはベンチの上は背むしばかりになってしまう。しかも彼等は同じようにそれぞれ皆熱心に蟇口の中を検べている。互に何か話し合いながら。
68[#「68」は縦中横]
写真屋の飾り窓。男女《なんにょ》の写真が何枚もそれぞれ額縁《がくぶち》にはいって懸《かか》っている。が、それ等の男女の顔もいつか老人に変ってしまう。しかしその中にたった一枚、フロック・コオトに勲章をつけた、顋髭《あごひげ》のある老人の半身だけは変らない。ただその顔はいつの間《ま》にか前の背むしの顔になっている。
69[#「69」は縦中横]
横から見た観音堂《かんのんどう》。少年はその下を歩いて行《ゆ》く。観音堂の上には三日月《みかづき》が一つ。
70[#「70」は縦中横]
観音堂の正面の一部。ただし扉《とびら》はしまっている。その前に礼拝《らいはい》している何人かの人々。少年はそこへ歩みより、こちらへ後ろを見せたまま、ちょっと観音堂を仰いで見る。それから突然こちらを向き、さっさと斜めに歩いて行ってしまう。
71[#「71」は縦中横]
斜めに上から見おろした、大きい長方形の手水鉢《ちょうずばち》。柄杓《ひしゃく》が何本も浮かんだ水には火《ほ》かげもちらちら映っている。そこへまた映って来る、憔悴《しょうすい》し切った少年の顔。
72[#「72」は縦中横]
大きい石燈籠《いしどうろう》の下部。少年はそこに腰をおろし、両手に顔を隠して泣きはじめる。
73[#「73」は縦中横]
前の石燈籠の下部の後ろ。男が一人|佇《たたず》んだまま、何かに耳を傾けている。
74[#「74」は縦中横]
この男の上半身。もっとも顔だけはこちらを向いていない。が、静かに振り返ったのを見ると、マスクをかけた前の男である。のみならずその顔もしばらくの後《のち》、少年の父親に変ってしまう。
75[#「75」は縦中横]
前の石燈籠の上部。石燈籠は柱を残したまま、おのずから炎《ほのお》になって燃え上ってしまう。炎の下火《したび》になった
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