仙人
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)北支那の市《まち》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)未練|未釈《みしゃく》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「口+桑」、42-13]
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上
いつごろの話だか、わからない。北支那の市《まち》から市を渡って歩く野天《のてん》の見世物師に、李小二《りしょうじ》と云う男があった。鼠《ねずみ》に芝居をさせるのを商売にしている男である。鼠を入れて置く嚢《ふくろ》が一つ、衣装や仮面《めん》をしまって置く笥《はこ》が一つ、それから、舞台の役をする小さな屋台のような物が一つ――そのほかには、何も持っていない。
天気がいいと、四つ辻の人通りの多い所に立って、まず、その屋台のような物を肩へのせる、それから、鼓板《こばん》を叩いて、人よせに、謡《うた》を唱う。物見高い街中の事だから、大人でも子供でも、それを聞いて、足を止めない者はほとんどない。さて、まわりに人の墻《かき》が出来ると、李は嚢の中から鼠を一匹出して、それに衣装を着せたり、仮面《めん》をかぶらせたりして、屋台の鬼門道《きもんみち》から、場へ上《のぼ》らせてやる。鼠は慣れていると見えて、ちょこちょこ、舞台の上を歩きながら、絹糸のように光沢《つや》のある尻尾を、二三度ものものしく動かして、ちょいと後足《あとあし》だけで立って見せる。更紗《さらさ》の衣裳の下から見える前足の蹠《あしのうら》がうす赤い。――この鼠が、これから雑劇の所謂《いわゆる》楔子《せっし》を演じようと云う役者なのである。
すると、見物の方では、子供だと、始から手を拍って、面白がるが、大人は、容易に感心したような顔を見せない。むしろ、冷然として、煙管《きせる》を啣《くわ》えたり、鼻毛をぬいたりしながら、莫迦《ばか》にしたような眼で、舞台の上に周旋する鼠の役者を眺めている。けれども、曲が進むのに従って、錦切《きんぎ》れの衣裳をつけた正旦《せいたん》の鼠や、黒い仮面《めん》をかぶった浄《じょう》の鼠が、続々、鬼門道から這い出して来るようになると、そうして、それが、飛んだり跳ねたりしながら、李の唱《うた》う曲やその間へはいる白《
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