るようになった。その中に、老人も紙銭の中から出て来て、李と一しょに、入口の石段の上に腰を下したから、今では顔貌《かおかたち》も、はっきり見える。形容の枯槁《ここう》している事は、さっき見た時の比ではない。李はそれでも、いい話相手を見つけたつもりで、嚢《ふくろ》や笥《はこ》を石段の上に置いたまま、対等な語《ことば》づかいで、いろいろな話をした。
 道士は、無口な方だと見えて、捗々《はかばか》しくは返事もしない。「成程な」とか「さようさ」とか云う度に、歯のない口が、空気を噛むような、運動をする。根の所で、きたない黄いろになっている髯も、それにつれて上下《うえした》へ動く、――それが如何にも、見すぼらしい。
 李は、この老道士に比べれば、あらゆる点で、自分の方が、生活上の優者だと考えた。そう云う自覚が、愉快でない事は、勿論ない。が、李は、それと同時に、優者であると云う事が、何となくこの老人に対して済まないような心もちがした。彼は、談柄《だんぺい》を、生活難に落して、自分の暮しの苦しさを、わざわざ誇張して、話したのは、完《まった》く、この済まないような心もちに、煩《わずら》わされた結果である。
「まったく、それは泣きたくなるくらいなものですよ。食わずに、一日すごした事だって、度々あります。この間も、しみじみこう思いました。『己《おれ》は鼠に芝居をさせて、飯《めし》を食っていると思っている。が、事によるとほんとうは、鼠が己にこんな商売をさせて、食っているのかも知れない。』実際、そんなものですよ。」
 李は撫然《ぶぜん》として、こんな事さえ云った。が、道士の無口な事は、前と一向、変りがない。それが、李の神経には、前よりも一層、甚しくなったように思われた。(先生、己《おれ》の云った事を、妙にひがんで取ったのだろう。余計な事は云わずに、黙っていればよかった。)――李は、心の中でこう自分を叱った。そうして、そっと横目を使って、老人の容子《ようす》を見た。道士は、顔を李と反対の方に向けて、雨にたたかれている廟外の枯柳《こりゅう》をながめながら、片手で、しきりに髪を掻いている。顔は見えないが、どうやら李の心もちを見透かして、相手にならずにいるらしい。そう思うと、多少不快な気がしたが、自分の同情の徹しないと云う不満の方が、それよりも大きいので、今度は話題を、今年の秋の蝗災《こうさい》へ持っ
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