雪
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)中央線《ちうあうせん》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》
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或冬曇りの午後、わたしは中央線《ちうあうせん》の汽車の窓に一列の山脈を眺めてゐた。山脈は勿論《もちろん》まつ白だつた。が、それは雪と言ふよりも山脈の皮膚に近い色をしてゐた。わたしはかう言ふ山脈を見ながら、ふと或小事件を思ひ出した。――
もう四五年以前になつた、やはり或冬曇りの午後、わたしは或友だちのアトリエに、――見すぼらしい鋳《い》もののストオヴの前に彼やそのモデルと話してゐた。アトリエには彼自身の油画《あぶらゑ》の外《ほか》に何も装飾になるものはなかつた。巻煙草《まきたばこ》を啣《くは》へた断髪のモデルも、――彼女は成程《なるほど》混血児《あひのこ》じみた一種の美しさを具へてゐた。しかしどう言ふ量見か、天然自然に生えた睫毛《まつげ》を一本残らず抜きとつてゐた。……
話はいつかその頃の寒気《かんき》の厳しさに移つてゐた。彼は如何《いか》に庭の土の季節を感ずるかと言ふことを話した。就中《なかんづく》如何に庭の土の冬を感ずるかと言ふことを話した。
「つまり土も生きてゐると言ふ感じだね。」
彼はパイプに煙草をつめつめ、我々の顔を眺めまはした。わたしは何《なん》とも返事をしずに※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》のない珈琲《コオヒイ》を啜《すす》つてゐた。けれどもそれは断髪のモデルに何か感銘を与へたらしかつた。彼女は赤い※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《まぶた》を擡《もた》げ、彼女の吐いた煙の輪にぢつと目を注《そそ》いでゐた。それからやはり空中を見たまま、誰にともなしにこんなことを言つた。――
「それは肌も同じだわね。あたしもこの商売を始めてから、すつかり肌を荒してしまつたもの。……」
或冬曇りの午後、わたしは中央線の汽車の窓に一列の山脈を眺めてゐた。山脈は勿論まつ白だつた。が、それは雪と言ふよりも人間の鮫肌《さめはだ》に近い色をしてゐた。わたしはかう言ふ山脈を見ながら、ふとあのモデルを思ひ出した、あの一本も睫毛《まつげ》のない、混血児《あひのこ》じみた日本の娘さんを。
[#地から1字上げ](大正十四年四月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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