いつかその頃の寒気《かんき》の厳しさに移つてゐた。彼は如何《いか》に庭の土の季節を感ずるかと言ふことを話した。就中《なかんづく》如何に庭の土の冬を感ずるかと言ふことを話した。
「つまり土も生きてゐると言ふ感じだね。」
 彼はパイプに煙草をつめつめ、我々の顔を眺めまはした。わたしは何《なん》とも返事をしずに※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》のない珈琲《コオヒイ》を啜《すす》つてゐた。けれどもそれは断髪のモデルに何か感銘を与へたらしかつた。彼女は赤い※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《まぶた》を擡《もた》げ、彼女の吐いた煙の輪にぢつと目を注《そそ》いでゐた。それからやはり空中を見たまま、誰にともなしにこんなことを言つた。――
「それは肌も同じだわね。あたしもこの商売を始めてから、すつかり肌を荒してしまつたもの。……」

 或冬曇りの午後、わたしは中央線の汽車の窓に一列の山脈を眺めてゐた。山脈は勿論まつ白だつた。が、それは雪と言ふよりも人間の鮫肌《さめはだ》に近い色をしてゐた。わたしはかう言ふ山脈を見ながら、ふとあのモデルを思ひ出した、あの一本も睫毛《まつげ》の
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