ノはあらゆる狂信者の心理のやうに病的な興味を与へたのである。わたしはやつとこの頃になつて四人の伝記作者のわたしたちに伝へたクリストと云ふ人を愛し出した。クリストは今日のわたしには行路《かうろ》の人のやうに見ることは出来ない。それは或は紅毛人たちは勿論、今日の青年たちには笑はれるであらう。しかし十九世紀の末に生まれたわたしは彼等のもう見るのに飽きた、――寧《むし》ろ倒すことをためらはない十字架に目を注ぎ出したのである。日本に生まれた「わたしのクリスト」は必しもガリラヤの湖を眺めてゐない。赤あかと実のつた柿の木の下に長崎の入江も見えてゐるのである。従つてわたしは歴史的事実や地理的事実を顧みないであらう。(それは少くともジヤアナリステイツクには困難を避ける為ではない。若し真面目に構へようとすれば、五六冊のクリスト伝は容易にこの役をはたしてくれるのである。)それからクリストの一言一行を忠実に挙げてゐる余裕もない。わたしは唯わたしの感じた通りに「わたしのクリスト」を記すのである。厳《いかめ》しい日本のクリスト教徒も売文の徒の書いたクリストだけは恐らくは大目に見てくれるであらう。

     2 
前へ 次へ
全34ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング