tを宝の盒《はこ》に入れて捧げて行つた。が、彼等は博士たちの中でも僅《わづ》かに二人か三人だつた。他の博士たちはクリストの星の現はれたことに気づかなかつた。のみならず気づいた博士たちの一人は高い台の上に佇《たたず》みながら、(彼は誰よりも年よりだつた。)きららかにかかつた星を見上げ、はるかにクリストを憐んでゐた。
「又か!」

     8 へロデ

 ヘロデは或大きい機械だつた。かう云ふ機械は暴力により、多少の手数を省く為にいつも我々には必要である。彼はクリストを恐れる為にベツレヘムの幼な児を皆殺しにした。勿論クリスト以外のクリスト[#「クリスト以外のクリスト」に傍点]も彼等の中にはまじつてゐたであらう。ヘロデの両手は彼等の血の為にまつ赤になつてゐたかも知れない。我々は恐らくこの両手の前に不快を感じずにはゐられないであらう。しかしそれは何世紀か前のギロテインに対する不快である。我々はヘロデを憎むことは勿論、軽蔑することも出来るものではない。いや、寧ろ彼の為に憐みを感じるばかりである。ヘロデはいつも玉座の上に憂欝な顔をまともにしたまま、橄欖《かんらん》や無花果《いちじゆく》の中にあるベツレヘムの国を見おろしてゐる。一行の詩さへ残したこともなしに。……

     9 ボヘミア的精神

 幼いクリストはエヂプトへ行つたり、更に又「ガリラヤのうちに避け、ナザレと云へる邑《むら》」に止まつたりしてゐる。我々はかう云ふ幼な児を佐世保や横須賀に転任する海軍将校の家庭にも見出すであらう。クリストのボヘミア的精神は彼自身の性格の前にかう云ふ境遇にも潜んでゐたかも知れない。

     10[#「10」は縦中横] 父

 クリストはナザレに住んだ後、ヨセフの子供でないことを知つたであらう。或は聖霊の子供であることを、――しかしそれは前者よりも決して重大な事件ではない。「人の子」クリストはこの時から正に二度目の誕生をした。「女中の子」ストリントベリイはまづ彼の家族に反叛《はんぱん》した。それは彼の不幸であり、同時に又彼の幸福だつた。クリストも恐らくは同じことだつたであらう。彼はかう云ふ孤独の中に仕合せにも彼の前に生まれたクリスト――バプテズマのヨハネに遭遇した。我々は我々自身の中にもヨハネに会ふ前のクリストの心の陰影を感じてゐる。ヨハネは野蜜や蝗《いなご》を食ひ、荒野の中に住まつてゐた。が、彼の住まつてゐた荒野は必しも日の光のないものではなかつた。少くともクリスト自身の中にあつた、薄暗い荒野に比べて見れば……。

     11[#「11」は縦中横] ヨハネ

 バプテズマのヨハネはロマン主義を理解出来ないクリストだつた。彼の威厳は荒金《あらがね》のやうにそこにかがやかに残つてゐる。彼のクリストに及ばなかつたのも恐らくはその事実に存するであらう。クリストに洗礼を授けたヨハネは※[#「木+解」、第3水準1-86-22]《かし》の木のやうに逞《たくま》しかつた。しかし獄中にはひつたヨハネはもう枝や葉に漲《みなぎ》つてゐる※[#「木+解」、第3水準1-86-22]の木の力を失つてゐた。彼の最後の慟哭《どうこく》はクリストの最後の慟哭のやうにいつも我々を動かすのである。――
「クリストはお前だつたか、わたしだつたか?」
 ヨハネの最後の慟哭は――いや、必しも慟哭ばかりではない。太い※[#「木+解」、第3水準1-86-22]の木は枯かかつたものの、未だに外見だけは枝を張つてゐる。若《も》しこの気力さへなかつたとしたならば、二十何歳かのクリストは決して冷かにかう言はなかつたであらう。
「わたしの現にしてゐることをヨハネに話して聞かせるが善い。」

     12[#「12」は縦中横] 悪魔

 クリストは四十日の断食をした後、目《ま》のあたりに悪魔と問答した。我々も悪魔と問答をする為には何等かの断食[#「何等かの断食」に傍点]を必要としてゐる。我々の或ものはこの問答の中に悪魔の誘惑に負けるであらう。又或ものは誘惑に負けずに我々自身を守るであらう。しかし我々は一生を通じて悪魔と問答をしないこともあるのである。クリストは第一にパンを斥《しりぞ》けた。が、「パンのみでは[#「のみでは」に傍点]生きられない」と云ふ註釈を施すのを忘れなかつた。それから彼自身の力を恃《たの》めと云ふ悪魔の理想主義者的忠告を斥けた。しかし又「主たる汝の神を試みてはならぬ」と云ふ弁証法を用意してゐた。最後に「世界の国々とその栄華と」を斥けた。それはパンを斥けたのと或は同じことのやうに見えるであらう。しかしパンを斥けたのは現実的欲望を斥けたのに過ぎない。クリストはこの第三の答の中に我々自身の中に絶えることのない、あらゆる地上の夢を斥けたのである。この論理以上の論理的決闘はクリストの勝利に違�
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