、凍りかかった雨の音が、騒々しい車輪の音に単調な響を交している。
本間さんは、一週間ばかり前から春期休暇を利用して、維新前後の史料を研究かたがた、独りで京都へ遊びに来た。が、来て見ると、調べたい事もふえて来れば、行って見たい所もいろいろある。そこで何かと忙《せわ》しい思をしている中に、いつか休暇も残少《のこりすく》なになった。新学期の講義の始まるのにも、もうあまり時間はない。そう思うと、いくら都踊りや保津川下《ほつがわくだ》りに未練があっても、便々と東山《ひがしやま》を眺めて、日を暮しているのは、気が咎《とが》める。本間さんはとうとう思い切って、雨が降るのに荷拵《にごしら》えが出来ると、俵屋《たわらや》の玄関から俥《くるま》を駆って、制服制帽の甲斐甲斐しい姿を、七条の停車場へ運ばせる事にした。
ところが乗って見ると、二等列車の中は身動きも出来ないほどこんでいる。ボオイが心配してくれたので、やっと腰を下す空地《くうち》が見つかったが、それではどうも眠れそうもない。そうかと云って寝台は、勿論皆売切れている。本間さんはしばらく、腰の広さ十|囲《い》に余る酒臭い陸軍将校と、眠りながら歯ぎしりをするどこかの令夫人との間にはさまって、出来るだけ肩をすぼめながら、青年らしい、とりとめのない空想に耽《ふけ》っていた。が、その中に追々空想も種切れになってしまう。それから強隣の圧迫も、次第に甚しくなって来るらしい。そこで本間さんは已《や》むを得ず、立った後《あと》の空地へ制帽を置いて、一つ前に連結してある食堂車の中へ避難した。
食堂車の中はがらんとして、客はたった一人しかいない。本間さんはそれから一番遠いテエブルへ行って、白葡萄酒を一杯云いつけた。実は酒を飲みたい訳でも何でもない。ただ、眠くなるまでの時間さえ、つぶす事が出来ればよいのである。だから無愛想なウェエタアが琥珀《こはく》のような酒の杯《さかずき》を、彼の前へ置いて行った後《あと》でも、それにはちょいと唇を触れたばかりで、すぐにM・C・Cへ火をつけた。煙草の煙は小さな青い輪を重ねて、明い電燈の光の中へ、悠々とのぼって行く。本間さんはテエブルの下に長々と足をのばしながら、始めて楽に息がつけるような心もちになった。
が、体だけはくつろいでも、気分は妙に沈んでいる。何だかこうして坐っていると、硝子《ガラス》戸の外のくら暗が、
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