、気がついて、相手を見ると、黒羽二重《くろはぶたへ》の小袖に裾取《すそとり》の紅《もみ》うらをやさしく出した、小肥《こぶと》りな女だつた。が、唐織寄縞《からおりよせじま》の帯を前でむすんだ所と云ひ、投島田《なげしまだ》に平元結《ひらもとゆひ》をかけて対《つゐ》のさし櫛《ぐし》をした所と云ひ、素人《しろうと》とは思はれない位な、なまめかしさだ。顔はあの西鶴《さいかく》の、「当世の顔はすこしまろく、色はうすはな桜にて」と云ふやつだが、「面道具《おもてだうぐ》の四《よ》つ不足なく揃ひて」はちと覚束《おぼつか》ない。白粉《おしろい》にかくれてはゐるが、雀斑《そばかす》も少々ある。口もとや鼻つきも、稍《やや》下品だつた。が、幸《さいはひ》生際《はえぎは》がいいので、さう云ふ難も、大して目に立たない。――私はまだ残つてゐた昨夜《ゆうべ》の酔が、急にさめたやうな心もちがして、その女の側へ腰を下した。その下した時に又、曰くがある。
曰くといふのは、私の膝が、先方の膝にさはつたのだ。私は卵色|縮緬《ちりめん》の小袖を着てゐる。下は多分肌着に、隠し緋無垢《ひむく》だつたらう。それでも、私には、向ふの膝が
前へ
次へ
全16ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング