世の中と女
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)矯正《けうせい》する

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(例)私|一人《ひとり》の

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(例)[#地から1字上げ](大正十年二月)
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 今の世の中は、男の作つた制度や習慣が支配してゐるから、男女に依つては非常に不公平な点がある。その不公平を矯正《けうせい》する為には、女自身が世の中の仕事に関与《くわんよ》しなければならぬ。唯、不公平と云ふ意味は、必ずしも、男だけが得《とく》をしてゐると云ふ意味ではない。いや、どうかすると、私《わたし》には女の方が得をしてゐる場合が多いやうに見える。たとへば相撲《すまふ》である。我々は、女の裸体《らたい》は滅多《めつた》に見られないけれども、女は、相撲を見にゆきさへすれば、何時《いつ》でも逞《たくま》しい男の裸体を見ることが出来る。これは女が得をして男が損をしている場合であると思ふ。
 相撲の話で思出したが、何時《いつ》か、「人間」といふ雑誌の表紙の絵を、二枚、警視庁の役人に見せたところが、一つの絵は女の裸体画《らたいぐわ》だから許可することは出来ない。もう一つの絵は、男の裸体画だから表紙にしても可《い》い、と云ふことになつた。所が、その絵は両方とも女の裸体画で、一方を男の裸体画と思つたのは祝福すべき役人の誤りだつた。
 まださう云ふ皮相《ひさう》の問題ばかりでなく、男女関係の場合などでも、男は何時《いつ》も誘惑《いうわく》するもの、女は何時も誘惑されるものと、世の中全体は考へ易い。が、実際は存外《ぞんぐわい》、女の誘惑する場合も……言葉で誘惑しないまでも、素振《そぶり》で誘惑する場合が多さうである。
 かう云ふ点は、現在、男のやつてゐる仕事を女もやるやうになつたらば、男の寃罪《ゑんざい》を晴すことが出来るかも知れない。私は、こんな意味で女が世の中の仕事に関係するのも悪くないと思つてゐる。つまり、女は女自身、男と生理的及び心理的に違つてゐる点を強調することによつてのみ、世の中の仕事に加はる資格が出来ると思ふ。
 もしさうでなく、男も女も違はないと云ふ点のみを強調したらそれは唯、在来、男の手に行はれた仕事が、一部分、男のやうな女の手に行はれると云ふのに過ぎないから、結局、世の中の進歩にならないと思ふ。
 又世の中の仕事に関与《くわんよ》するとなると、女に必然に女らしさを失ふやうに思ふ人がある。が、私はさうは思はない。成程《なるほど》、在来の女らしい型は壊《こは》れるかも知れない。しかし、女らしさそのものは無くならない筈だ。
 かう云ふ例を使つては女性に失礼かも知れないけれども、狼《おほかみ》は人間に飼《か》はれると犬になるには違ひない。しかし、猫にならないことは確《たしか》である。在来の女の型は失つても、女らしさは失はれないことは、猶《なほ》、犬が泥棒を見ると食ひ付くやうなものであるだらうと思ふ。
 しかし、これは大義名分の上に立つた議論である。もし夫《そ》れ私|一人《ひとり》の好みを云へば、やはり、犬よりは狼が可《い》い。子供を育てたり裁縫したりする優しい牝《めす》の白狼《はくらう》が可《よ》い。
[#地から1字上げ](大正十年二月)



底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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終わり
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