と云ふやうなものも、自然の感じを満足させる程度に於《おい》て幾分とり入れられる事になつて来る。だから所謂《いはゆる》歴史小説とはどんな意味に於ても「昔」の再現を目的《エンド》にしてゐないと云ふ点で区別を立てる事が出来るかも知れない。――まあざつとこんなものである。
序《ついで》につけ加へて置くが、さう云ふ次第だから僕は昔の事を小説に書いても、その昔なるものに大して憧憬《しようけい》は持つてゐない。僕は平安朝《へいあんてう》に生れるよりも、江戸時代に生れるよりも、遙《はるか》に今日《こんにち》のこの日本に生れた事を難有《ありがた》く思つてゐる。
それからもう一つつけ加へて置くが、或テエマの表現に異常なる事件が必要になる事があると云つたが、それには其外《そのほか》にすべて異常なる物に対して僕(我我人間と云ひたいが)の持つてゐる興味も働いてゐるだらうと思ふ。それと同じやうに或異常なる事件を不自然の感じを与へずに書きこなす必要上、昔を選ぶと云ふ事にも、さう云ふ必要以外に昔|其《その》ものの美しさが可也《かなり》影響を与へてゐるのにちがひない。しかし主として僕の作品の中で昔が勤《つと》めてゐ
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