り》でお聴きを願ひたい。
 お伽噺《とぎばなし》を読むと、日本のなら「昔々」とか「今は昔」とか書いてある。西洋のなら「まだ動物が口を利《き》いてゐた時に」とか「ベルトが糸を紡《つむ》いでゐた時に」とか書いてある。あれは何故《なぜ》であらう。どうして「今」ではいけないのであらう。それは本文《ほんもん》に出て来るあらゆる事件に或可能性を与へる為の前置きにちがひない。何故かと云ふと、お伽噺《とぎばなし》の中に出て来る事件は、いづれも不思議な事ばかりである。だからお伽噺の作者にとつては、どうも舞台を今にするのは具合《ぐあひ》が悪い。絶対に今ではならんと云ふ事はないが、それよりも昔の方が便利である。「昔々」と云へば既《すで》に太古緬※[#「二点しんにょう+貌」、第3水準1−92−58]《たいこめんばく》の世だから、小指ほどの一寸法師《いつすんぼふし》が住んでゐても、竹の中からお姫様が生れて来ても、格別《かくべつ》矛盾《むじゆん》の感じが起らない。そこで予《あらかじ》め前へ「昔々」と食付《くつつ》けたのである。
 所でもしこれが「昔々」の由来だとすれば、僕が昔から材料を採《と》るのは大半この「昔々
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