あらうと思ふ。
時時私は廿年の後《のち》、或は五十年の後、或は更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が来ると云ふ事を想像する。その時私の作品集は、堆《うづだか》い埃《ほこり》に埋《うづ》もれて、神田《かんだ》あたりの古本屋の棚《たな》の隅に、空《むな》しく読者を待つてゐる事であらう。いや、事によつたらどこかの図書館《としよかん》にたつた一冊残つた儘、無残な紙魚《しぎよ》の餌《ゑさ》となつて、文字《もじ》さへ読めないやうに破れ果ててゐるかも知れない。しかし――
私はしかしと思ふ。
しかし誰かが偶然私の作品集を見つけ出して、その中の短い一篇を、或は其一篇の中の何行《なんぎやう》かを読むと云ふ事がないであらうか。更《さら》に虫の好《い》い望みを云へば、その一篇なり何行かなりが、私の知らない未来の読者に多少にもせよ美しい夢を見せるといふ事がないであらうか。
私は知己《ちき》を百代の後《のち》に待たうとしてゐるものではない。だから私はかう云ふ私の想像が如何《いか》に私の信ずる所と矛盾《むじゆん》してゐるかも承知してゐる。
けれども私は猶《なほ》想像する。落莫《らくばく》たる百代の後に当
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