となれば、どう云ふ活計を始めるかも知れぬ。その時はおのづからその時である。しかし今は貧乏なりに兎《と》に角《かく》露命を繋《つな》いでゐる。且又体は多病にもせよ、精神状態はまづノルマアルである。マゾヒスムスなどの徴候は見えない。誰が御苦労にも恥ぢ入りたいことを告白小説などに作るものか。
十七 チヤプリン
社会主義者と名のついたものはボルシエヴイツキたると然らざるとを問はず、悉く危険視されるやうである。殊にこの間の大《だい》地震の時にはいろいろその為に祟《たた》られたらしい。しかし社会主義者と云へば、あのチヤアリイ・チヤプリンもやはり社会主義者の一人《ひとり》である。もし社会主義者を迫害するとすれば、チヤプリンも亦《また》迫害しなければなるまい。試みに某憲兵大尉の為にチヤプリンが殺されたことを想像して見給へ。家鴨《あひる》歩きをしてゐるうちに突き殺されたことを想像して見給へ。苟《いやし》くも一たびフイルムの上に彼の姿を眺めたものは義憤を発せずにはゐられないであらう。この義憤を現実に移しさへすれば、――兎《と》に角《かく》諸君もブラツク・リストの一人《ひとり》になることだけは確かである。
十八 あそび
これはサンデイ毎日所載、福田雅之助《ふくだまさのすけ》君の「最近の米国庭球界」の一節である。
「テイルデンは指を切つてから、却《かへ》つて素晴《すばら》らしい当りを見せる様になつた。なぜ指を切つてからの方が、以前よりうまくなつたかと云ふに、一つは彼の気が緊張してゐるからだ。彼は非常に芝居気があつて、勝てるマツチにもたやすく勝たうとはせず、或程度まで相手をあしらつて行《ゆ》くらしかつたが、今年度は「指」と云ふハンデイキヤツプの為に、ゲエムの始めから緊張してかかるから、尚更《なほさら》強いのである……」
ラケツトを握る指を切断した後《のち》、一層《いつそう》腕を上げたテイルデンはまことに偉大なる選手である。が、指の満足だつた彼も、――同時に又相手を翻弄《ほんろう》する「あそび」の精神に富んでゐた彼も必《かならず》しも偉大でないことはない。いや、僕はテイルデン自身も時時はちよつと心の底に、「あそび」の精神に富んでゐた昔をなつかしがつてゐはしないかと思つてゐる。
十九 塵労
僕も大抵《たいてい》の売文業者のやうに※[#「勹<夕」、
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