、わたしの父、十二代目の紀の国屋伊兵衛はどの位手もとが苦しかつたか、大抵御推量にもなれるでございませう。何しろ徳川家《とくせんけ》の御瓦解《ごぐわかい》以来、御用金を下げて下すつたのは加州様ばかりでございます。それも三千両の御用金の中、百両しか下げては下さいません。因州様などになりますと、四百両ばかりの御用金のかたに赤間《あかま》が石の硯《すずり》を一つ下すつただけでございました。その上火事には二三度も遇ひますし、蝙蝠傘屋《かうもりがさや》などをやりましたのも皆手違ひになりますし、当時はもう目ぼしい道具もあらかた一家の口すごしに売り払つてゐたのでございます。
其処《そこ》へ雛でも売つたらと父へ勧めてくれましたのは丸佐と云ふ骨董屋《こつとうや》の、……もう故人になりましたが、禿《は》げ頭《あたま》の主人でございます。この丸佐の禿げ頭位、可笑《をか》しかつたものはございません。と申すのは頭のまん中に丁度|按摩膏《あんまかう》を貼つた位、入れ墨がしてあるのでございます。これは何でも若い時分、ちよいと禿げを隠す為に彫らせたのださうでございますが、生憎《あいにく》その後頭の方は遠慮なしに禿げて
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