土を残して、まだ、壁土を溶かしたような色をした水が、八月の青空を映しながら、とろりと動かずにたたえている。その水の中を、やせた毛の長い黒犬が、鼻を鳴らしながら、ぐしょぬれになって、かけてゆく。犬まで、生意気にせっせと忙しそうな気がする。

 慰問会が開かれたのは三時ごろである。
 鼠色《ねずみいろ》の壁と、不景気なガラス窓とに囲まれた、伽藍《がらん》のような講堂には、何百人かの罹災民諸君が、雑然として、憔悴《しょうすい》した顔を並べていた。垢《あか》じみた浴衣で、肌《はだ》っこに白雲のある男の児《こ》をおぶった、おかみさんもあった。よごれた、薄い※[#「糸」+褞のつくり」、第3水準1−90−18]袍《どてら》に手ぬぐいの帯をしめた、目のただれた、おばあさんもあった。白いメリヤスのシャツと下ばきばかりの若い男もあった。大きなかぎ裂きのある印半纏《しるしばんてん》に、三尺をぐるぐるまきつけた、若い女もあった。色のさめた赤毛布を腰のまわりにまいた、鼻の赤いおじいさんもあった。そうしてこれらの人々が皆、黄ばんだ、弾力のない顔を教壇の方へ向けていた。教壇の上では蓄音機が、鼻くたのような声を出して
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