飛《とん》でもない嘘が伝わっているのです。現についこの間も、ある琵琶法師《びわほうし》が語ったのを聞けば、俊寛様は御歎きの余り、岩に頭を打ちつけて、狂《くる》い死《じに》をなすってしまうし、わたしはその御死骸《おなきがら》を肩に、身を投げて死んでしまったなどと、云っているではありませんか? またもう一人の琵琶法師は、俊寛様はあの島の女と、夫婦の談《かた》らいをなすった上、子供も大勢御出来になり、都にいらしった時よりも、楽しい生涯《しょうがい》を御送りになったとか、まことしやかに語っていました。前の琵琶法師の語った事が、跡方《あとかた》もない嘘だと云う事は、この有王が生きているのでも、おわかりになるかと思いますが、後の琵琶法師の語った事も、やはり好《い》い加減の出たらめなのです。
 一体琵琶法師などと云うものは、どれもこれも我《われ》は顔《がお》に、嘘ばかりついているものなのです。が、その嘘のうまい事は、わたしでも褒《ほ》めずにはいられません。わたしはあの笹葺《ささぶき》の小屋に、俊寛様が子供たちと、御戯《おたわむ》れになる所を聞けば、思わず微笑を浮べましたし、またあの浪音の高い月夜に、
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