蒐書
芥川龍之介
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)執着《しふぢやく》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)諸|君子《くんし》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)集めた[#「集めた」に傍点]
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元来僕は何ごとにも執着《しふぢやく》の乏しい性質である。就中《なかんづく》蒐集《しうしふ》と云ふことには小学校に通《かよ》つてゐた頃、昆虫の標本《へうほん》を集めた以外に未嘗《いまだかつて》熱中したことはない。従つてマツチの商標は勿論《もちろん》、油壺でも、看板でも、乃至《ないし》古今《ここん》の名家の書画でも必死に集めてゐる諸|君子《くんし》には敬意に近いものを感じてゐる。時には多少の嫌悪《けんを》を交《まじ》へた驚嘆《きやうたん》に近いものを感じてゐる。
書籍も亦《また》例外ではない。僕も亦商売がら多少の書籍をも蔵してゐる。が、それも集めた[#「集めた」に傍点]のではない。寧《むし》ろおのづから集まつた[#「集まつた」に傍点]のである。もし集めた書籍であるとすれば、其処《そこ》に何か全体に通ずる脈絡《みやくらく》を具《そな》へてゐなければならぬ。しかし僕の架上《かじやう》の書籍は集まつた書籍である証拠《しやうこ》に、頗《すこぶ》る糅然《じうぜん》紛然《ふんぜん》としてゐる。脈絡《みやくらく》などと云ふものは薬にしたくもない。
では全然|無茶苦茶《むちやくちや》かと云ふと、必《かならず》しも亦《また》さうではない。少くとも僕の架上《かじやう》の書籍は僕の好みを示してゐる。或はいろいろの時期に於《お》ける好みの変遷を示してゐる。その点では――僕と云ふものを示してゐる点では僕の作品と選ぶ所はない。僕は以前架上の書籍を買ひ入れた年月《ねんげつ》の順に記《しる》し、その書籍の持ち主の一生の変化を暗示《あんじ》する小品を書いて見ようかと思つた。が、西洋人の書いたものに余り似寄《によ》りの話を見た為、とうとうそれなりになつてしまつた。それなりになつてしまつたのは勿論天下の為に幸福である。しかし架上の書籍なるものの鏡のやうに持ち主を映《うつ》すことは兎《と》に角《かく》何か懐しい、さもなければ何か気味の悪い事実であると云はなければならぬ。(この故に売り立てに「さしもの」をするのは他人の作品に筆を入れるのと同じ位道徳的に不都合《ふつがふ》である。)
蒐集家《しうしふか》のみの知る喜びや悲しみはかう云ふ僕には恵まれてゐない。何しろ本屋をひやかしてゐたり、或はカタロオグを読んでゐたりする内に目にとまつたものを買ふのであるから、感激も頗《すこぶ》る薄《うす》い訣《わけ》である。大金《たいきん》は勿論出したことはない。
是《これ》でも本|道楽《だうらく》の話になるかどうか、其辺《そのへん》は僕にも疑問である。
[#地から1字上げ](大正十三年七月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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終わり
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