ろ春風《しゅんぷう》が動きだしたのを潮《しお》に、私は独り南方へ、旅をすることになりました。そこで翁《おう》にその話をすると、
「ではちょうど好《い》い機会だから、秋山《しゅうざん》を尋ねてご覧《らん》なさい。あれがもう一度世に出れば、画苑《がえん》の慶事《けいじ》ですよ」と言うのです。
 私ももちろん望むところですから、早速翁を煩《わずら》わせて、手紙を一本書いてもらいました。が、さて遊歴《ゆうれき》の途《と》に上ってみると、何かと行く所も多いものですから、容易に潤州《じゅんしゅう》の張氏の家を訪れる暇《ひま》がありません。私は翁の書を袖《そで》にしたなり、とうとう子規《ほととぎす》が啼《な》くようになるまで、秋山《しゅうざん》を尋ねずにしまいました。
 その内にふと耳にはいったのは、貴戚《きせき》の王氏《おうし》が秋山図を手に入れたという噂《うわさ》です。そういえば私《わたし》が遊歴中、煙客翁《えんかくおう》の書を見せた人には、王氏を知っているものも交《まじ》っていました。王氏はそういう人からでも、あの秋山図が、張氏《ちょうし》の家に蔵してあることを知ったのでしょう。何でも坊間《ぼうかん》の説によれば、張氏の孫は王氏《おうし》の使を受けると、伝家の彝鼎《いてい》や法書とともに、すぐさま大癡《たいち》の秋山図を献じに来たとかいうことです。そうして王氏は喜びのあまり、張氏の孫を上座に招じて、家姫《かき》を出したり、音楽を奏したり、盛な饗宴《きょうえん》を催したあげく、千金を寿《じゅ》にしたとかいうことです。私はほとんど雀躍《じゃくやく》しました。滄桑五十載《そうそうごじっさい》を閲《けみ》した後《のち》でも、秋山図はやはり無事だったのです。のみならず私も面識がある、王氏の手中に入ったのです。昔は煙客翁がいくら苦心をしても、この図を再び看《み》ることは、鬼神《きじん》が悪《にく》むのかと思うくらい、ことごとく失敗に終りました。が、今は王氏の焦慮《しょうりょ》も待たず、自然とこの図が我々の前へ、蜃楼《しんろう》のように現れたのです。これこそ実際天縁が、熟したと言う外《ほか》はありません。私は取る物も取りあえず、金※[#「門<昌」、第3水準1−93−51]《きんしょう》にある王氏の第宅《ていたく》へ、秋山を見に出かけて行きました。
 今でもはっきり覚えていますが、それは王
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