つ》しかたはわかったろう?」
 父の言葉は茫然とした彼を現実の世界へ呼び戻した。父は葉巻を啣《くわ》えたまま、退屈《たいくつ》そうに後ろに佇《たたず》んでいる。玩具屋《おもちゃや》の外の往来も不相変《あいかわらず》人通りを絶たないらしい。主人も――綺麗に髪を分けた主人は小手調《こてしら》べをすませた手品師《てじなし》のように、妙な蒼白い頬《ほお》のあたりへ満足の微笑を漂わせている。保吉は急にこの幻燈を一刻も早く彼の部屋へ持って帰りたいと思い出した。……
 保吉はその晩父と一しょに蝋《ろう》を引いた布の上へ、もう一度ヴェネチアの風景を映した。中空《ちゅうくう》の三日月、両側の家々、家々の窓の薔薇《ばら》の花を映した一すじの水路の水の光り、――それは皆前に見た通りである。が、あの愛くるしい少女だけはどうしたのか今度は顔を出さない。窓と云う窓はいつまで待っても、だらりと下った窓かけの後《うしろ》に家々の秘密を封じている。保吉はとうとう待ち遠しさに堪えかね、ランプの具合などを気にしていた父へ歎願《たんがん》するように話しかけた。
「あの女の子はどうして出ないの?」
「女の子? どこかに女の子が
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