に食った。それから感謝の意を表するため、こう父へ話しかけた。
「さっきはよそのお師匠さん、今度は僕がお目出度なった!」
 父は勿論、母や伯母も一時にどっと笑い出した。が、必ずしもその笑いは機智《きち》に富んだ彼の答を了解したためばかりでもないようである。この疑問は彼の自尊心に多少の不快を感じさせた。けれども父を笑わせたのはとにかく大手柄《おおてがら》には違いない。かつまた家中《かちゅう》を陽気にしたのもそれ自身甚だ愉快である。保吉はたちまち父と一しょに出来るだけ大声に笑い出した。
 すると笑い声の静まった後《のち》、父はまだ微笑を浮べたまま、大きい手に保吉の頸《くび》すじをたたいた。
「お目出度なると云うことはね、死んでしまうと云うことだよ。」
 あらゆる答は鋤《すき》のように問の根を断《た》ってしまうものではない。むしろ古い問の代りに新らしい問を芽ぐませる木鋏《きばさみ》の役にしか立たぬものである。三十年|前《ぜん》の保吉も三十年|後《ご》の保吉のように、やっと答を得たと思うと、今度はそのまた答の中に新しい問を発見した。
「死んでしまうって、どうすること?」
「死んでしまうと云うことはね、ほら、お前は蟻《あり》を殺すだろう。……」
 父は気の毒にも丹念《たんねん》に死と云うものを説明し出した。が、父の説明も少年の論理を固守《こしゅ》する彼には少しも満足を与えなかった。なるほど彼に殺された蟻の走らないことだけは確かである。けれどもあれは死んだのではない。ただ彼に殺されたのである。死んだ蟻と云う以上は格別彼に殺されずとも、じっと走らずにいる蟻でなければならぬ。そう云う蟻には石燈籠《いしどうろう》の下や冬青《もち》の木の根もとにも出合った覚えはない。しかし父はどう云う訣《わけ》か、全然この差別を無視している。……
「殺された蟻は死んでしまったのさ。」
「殺されたのは殺されただけじゃないの?」
「殺されたのも死んだのも同じことさ。」
「だって殺されたのは殺されたって云うもの。」
「云っても何でも同じことなんだよ。」
「違う。違う。殺されたのと死んだのとは同じじゃない。」
「莫迦《ばか》、何と云うわからないやつだ。」
 父に叱《しか》られた保吉の泣き出してしまったのは勿論《もちろん》である。が、いかに叱られたにしろ、わからないことのわかる道理はない。彼はその後《ご》数箇月の
前へ 次へ
全19ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング