い」を繰り返す愚《ぐ》だけは免《まぬか》れたであろう。保吉は爾来《じらい》三十年間、いろいろの問題を考えて見た。しかし何もわからないことはあの賢いつうや[#「つうや」に傍点]と一しょに大溝の往来を歩いた時と少しも変ってはいないのである。……
「ほら、こっちにももう一つあるでしょう? ねえ、坊ちゃん、考えて御覧なさい。このすじは一体何でしょう?」
つうや[#「つうや」に傍点]は前のように道の上を指《ゆびさ》した。なるほど同じくらい太い線が三尺ばかりの距離を置いたまま、土埃《つちほこり》の道を走っている。保吉は厳粛に考えて見た後《のち》、とうとうその答を発明した。
「どこかの子がつけたんだろう、棒か何か持って来て?」
「それでも二本並んでいるでしょう?」
「だって二人《ふたり》でつけりゃ二本になるもの。」
つうや[#「つうや」に傍点]はにやにや笑いながら、「いいえ」と云う代りに首を振った。保吉は勿論不平だった。しかし彼女は全知である。云わば Delphi の巫女《みこ》である。道の上の秘密《ひみつ》もとうの昔に看破《かんぱ》しているのに違いない。保吉はだんだん不平の代りにこの二《ふた》すじの線に対する驚異の情を感じ出した。
「じゃ何さ、このすじは?」
「何でしょう? ほら、ずっと向うまで同じように二すじ並んでいるでしょう?」
実際つうや[#「つうや」に傍点]の云う通り、一すじの線のうねっている時には、向うに横たわったもう一すじの線もちゃんと同じようにうねっている。のみならずこの二すじの線は薄白い道のつづいた向うへ、永遠そのもののように通じている。これは一体何のために誰のつけた印《しるし》であろう? 保吉は幻燈《げんとう》の中に映《うつ》る蒙古《もうこ》の大沙漠《だいさばく》を思い出した。二すじの線はその大沙漠にもやはり細ぼそとつづいている。………
「よう、つうや[#「つうや」に傍点]、何だって云えば?」
「まあ、考えて御覧なさい。何か二つ揃《そろ》っているものですから。――何でしょう、二つ揃っているものは?」
つうや[#「つうや」に傍点]もあらゆる巫女のように漠然と暗示を与えるだけである。保吉はいよいよ熱心に箸《はし》とか手袋とか太鼓《たいこ》の棒とか二つあるものを並べ出した。が、彼女はどの答にも容易に満足を表わさない。ただ妙に微笑したぎり、不相変《あいかわらず
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