忘れたように。
「だが裸にしてもないとすれば、靴よりほかに隠せないじゃないか?」
将軍はまだ上機嫌だった。
「わしはすぐに靴と睨《にら》んだ。」
「どうもこの辺の住民はいけません。我々がここへ来た時も、日の丸の旗を出したのですが、その癖家の中を検《しら》べて見れば、大抵|露西亜《ロシア》の旗を持っているのです。」
旅団長も何か浮き浮きしていた。
「つまり奸佞邪智《かんねいじゃち》なのじゃね。」
「そうです。煮ても焼いても食えないのです。」
こんな会話が続いている内、旅団参謀はまだ通訳と、二人の支那人を検べていた。それが急に田口一等卒へ、機嫌の悪い顔を向けると、吐《は》き出すようにこう命じた。
「おい歩兵! この間牒はお前が掴《つか》まえて来たのだから、次手《ついで》にお前が殺して来い。」
二十分の後《のち》、村の南端の路ばたには、この二人の支那人が、互に辮髪《べんぱつ》を結ばれたまま、枯柳《かれやなぎ》の根がたに坐っていた。
田口一等卒は銃剣をつけると、まず辮髪を解き放した。それから銃を構えたまま、年下の男の後《うしろ》に立った。が、彼等を突殺す前に、殺すと云う事だけは告げたいと思った。
「※[#「にんべん+爾」、第3水準1−14−45]《ニイ》、――」
彼はそう云って見たが、「殺す」と云う支那語を知らなかった。
「※[#「にんべん+爾」、第3水準1−14−45]《ニイ》、殺すぞ!」
二人の支那人は云い合せたように、じろりと彼を振り返った。しかし驚いたけはいも見せず、それぎり別々の方角へ、何度も叩頭《こうとう》を続け出した。「故郷へ別れを告げているのだ。」――田口一等卒は身構えながら、こうその叩頭を解釈した。
叩頭が一通り済んでしまうと、彼等は覚悟をきめたように、冷然と首をさし伸した。田口一等卒は銃をかざした。が、神妙な彼等を見ると、どうしても銃剣が突き刺せなかった。
「※[#「にんべん+爾」、第3水準1−14−45]《ニイ》、殺すぞ!」
彼はやむを得ず繰返した。するとそこへ村の方から、馬に跨《またが》った騎兵が一人、蹄《ひづめ》に砂埃《すなほこり》を巻き揚げて来た。
「歩兵!」
騎兵は――近づいたのを見れば曹長《そうちょう》だった。それが二人の支那人を見ると、馬の歩みを緩《ゆる》めながら、傲然《ごうぜん》と彼に声をかけた。
「露探《ろたん》か? 露探だろう。おれにも、一人斬らせてくれ。」
田口一等卒は苦笑《くしょう》した。
「何、二人とも上げます。」
「そうか? それは気前が好《い》いな。」
騎兵は身軽に馬を下りた。そうして支那人の後《うしろ》にまわると、腰の日本刀を抜き放した。その時また村の方から、勇しい馬蹄《ばてい》の響と共に、三人の将校が近づいて来た。騎兵はそれに頓着《とんちゃく》せず、まっ向《こう》に刀《とう》を振り上げた。が、まだその刀を下《おろ》さない内に、三人の将校は悠々と、彼等の側へ通りかかった。軍司令官! 騎兵は田口一等卒と一しょに、馬上の将軍を見上げながら、正しい挙手の礼をした。
「露探《ろたん》だな。」
将軍の眼には一瞬間、モノメニアの光が輝いた。
「斬れ! 斬れ!」
騎兵は言下《ごんか》に刀をかざすと、一打《ひとうち》に若い支那人を斬《き》った。支那人の頭は躍るように、枯柳の根もとに転《ころ》げ落ちた。血は見る見る黄ばんだ土に、大きい斑点《はんてん》を拡げ出した。
「よし。見事だ。」
将軍は愉快そうに頷《うなず》きながら、それなり馬を歩ませて行った。
騎兵は将軍を見送ると、血に染《そ》んだ刀《とう》を提《ひっさ》げたまま、もう一人の支那人の後《うしろ》に立った。その態度は将軍以上に、殺戮《さつりく》を喜ぶ気色《けしき》があった。「この×××らばおれにも殺せる。」――田口一等卒はそう思いながら、枯柳の根もとに腰を下《おろ》した。騎兵はまた刀《とう》を振り上げた。が、髯《ひげ》のある支那人は、黙然《もくねん》と首を伸ばしたぎり、睫毛《まつげ》一つ動かさなかった。……
将軍に従った軍参謀の一人、――穂積《ほづみ》中佐《ちゅうさ》は鞍《くら》の上に、春寒《しゅんかん》の曠野《こうや》を眺めて行った。が、遠い枯木立《かれこだち》や、路ばたに倒れた石敢当《せきかんとう》も、中佐の眼には映らなかった。それは彼の頭には、一時愛読したスタンダアルの言葉が、絶えず漂って来るからだった。
「私《わたし》は勲章《くんしょう》に埋《うずま》った人間を見ると、あれだけの勲章を手に入れるには、どのくらい××な事ばかりしたか、それが気になって仕方がない。……」
――ふと気がつけば彼の馬は、ずっと将軍に遅れていた。中佐は軽い身震《みぶるい》をすると、すぐに馬を急がせ出した。ちょうど当り出した薄日の光
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