も出来れば、――
 彼はトンネルからトンネルへはいる車中の明暗を見上げたなり、いかに多少の前借の享楽《きょうらく》を与えるかを想像した。あらゆる芸術家の享楽は自己発展の機会である。自己発展の機会を捉《とら》えることは人天《じんてん》に恥ずる振舞《ふるまい》ではない。これは二時三十分には東京へはいる急行車である。多少の前借を得るためにはこのまま東京まで乗り越せば好《い》い。五十円の、――少くとも三十円の金さえあれば、久しぶりに長谷や大友と晩飯を共にも出来るはずである。フロイライン・メルレンドルフの音楽会へも行《ゆ》かれるはずである。カンヴァスや画の具も買われるはずである。いや、それどころではない。たった一枚の十円札を必死に保存せずとも好《い》いはずである。が、万一前借の出来なかった時には、――その時はその時と思わなければならぬ。元来彼は何のために一粟野廉太郎の前に威厳を保ちたいと思うのであろう? 粟野さんはなるほど君子人かも知れない。けれども保吉の内生命《ないせいめい》には、――彼の芸術的情熱には畢《つい》に路傍の行人《こうじん》である。その路傍の行人のために自己発展の機会を失うのは、――畜生、この論理は危険である!
 保吉は突然|身震《みぶる》いをしながら、クッションの上に身を起した。今もまたトンネルを通り抜けた汽車は苦しそうに煙を吹きかけ吹きかけ、雨交《あめまじ》りの風に戦《そよ》ぎ渡った青芒《あおすすき》の山峡《やまかい》を走っている。……

       ―――――――――――――――――――――――――

 翌日《よくじつ》の日曜日の日暮れである。保吉は下宿の古籐椅子《ふるとういす》の上に悠々と巻煙草へ火を移した。彼の心は近頃にない満足の情《じょう》に溢《あふ》れている。溢れているのは偶然ではない。第一に彼は十円札を保存することに成功した。第二にある出版|書肆《しょし》は今しがた受取った手紙の中に一冊五十銭の彼の著書の五百部の印税を封入してよこした。第三に――最も意外だったのはこの事件である。第三に下宿は晩飯の膳《ぜん》に塩焼の鮎《あゆ》を一尾《いっぴき》つけた!
 初夏の夕明《ゆうあか》りは軒先に垂《た》れた葉桜の枝に漂《ただよ》っている。点々と桜の実をこぼした庭の砂地にも漂っている。保吉のセルの膝《ひざ》の上に載った一枚の十円札にも漂っている。彼はその夕
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