いた。
「どうだ、おれたちも鼠狩をしては?」
ある雨の晴れ上った朝、甲板《かんぱん》士官だったA中尉はSと云う水兵に上陸を許可した。それは彼の小鼠を一匹、――しかも五体《ごたい》の整った小鼠を一匹とったためだった。人一倍体の逞《たくま》しいSは珍しい日の光を浴びたまま、幅の狭い舷梯《げんてい》を下《くだ》って行った。すると仲間の水兵が一人《ひとり》身軽に舷梯を登りながら、ちょうど彼とすれ違う拍子《ひょうし》に常談《じょうだん》のように彼に声をかけた。
「おい、輸入《ゆにゅう》か?」
「うん、輸入だ。」
彼等の問答はA中尉の耳にはいらずにはいなかった。彼はSを呼び戻し、甲板の上に立たせたまま、彼等の問答の意味を尋ね出した。
「輸入とは何か?」
Sはちゃんと直立し、A中尉の顔を見ていたものの、明らかにしょげ切っているらしかった。
「輸入とは外《そと》から持って来たものであります。」
「何のために外から持って来たか?」
A中尉は勿論何のために持って来たかを承知していた。が、Sの返事をしないのを見ると、急に彼に忌々《いまいま》しさを感じ、力一ぱい彼の頬《ほお》を擲《なぐ》りつけた。Sはちょっとよろめいたものの、すぐにまた不動の姿勢をした。
「誰が外から持って来たか?」
Sはまた何とも答えなかった。A中尉は彼を見つめながら、もう一度彼の横顔を張りつける場合を想像していた。
「誰だ?」
「わたくしの家内《かない》であります。」
「面会に来たときに持って来たのか?」
「はい。」
A中尉は何か心の中に微笑しずにはいられなかった。
「何に入れて持って来たか?」
「菓子折に入れて持って来ました。」
「お前の家《うち》はどこにあるのか?」
「平坂下《ひらさかした》であります。」
「お前の親は達者《たっしゃ》でいるか?」
「いえ、家内と二人暮らしであります。」
「子供はないのか?」
「はい。」
Sはこう云う問答の中も不安らしい容子《ようす》を改めなかった。A中尉は彼を立たせて措《お》いたまま、ちょっと横須賀《よこすか》の町へ目を移した。横須賀の町は山々の中にもごみごみと屋根を積み上げていた。それは日の光を浴びていたものの、妙に見すぼらしい景色《けしき》だった。
「お前の上陸は許可しないぞ。」
「はい。」
SはA中尉の黙っているのを見、どうしようかと迷っているらしかった。が、
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