あき》れた顔をして、「何だい、これは」と云った。すると木村少佐は、ゆっくり葉巻の煙を吐きながら、鷹揚《おうよう》に微笑して、
「面白いだろう。こんな事は支那でなくっては、ありはしない。」
「そうどこにでもあって、たまるものか。」
山川技師もにやにやしながら、長くなった葉巻の灰を灰皿の中へはたき落した。
「しかも更に面白い事は――」
少佐は妙に真面目《まじめ》な顔をして、ちょいと語《ことば》を切った。
「僕はその何小二と云うやつを知っているのだ。」
「知っている? これは驚いた。まさかアッタッシェの癖に、新聞記者と一しょになって、いい加減な嘘を捏造《ねつぞう》するのではあるまいね。」
「誰がそんなくだらない事をするものか。僕はあの頃――屯《とん》の戦《たたかい》で負傷した時に、その何小二と云うやつも、やはり我軍の野戦病院へ収容されていたので、支那語の稽古《けいこ》かたがた二三度話しをした事があるのだ。頸《くび》に創《きず》があると云うのだから、十中八九あの男に違いない。何でも偵察か何かに出た所が我軍の騎兵と衝突して頸へ一つ日本刀をお見舞申されたと云っていた。」
「へえ、妙な縁だね。だがそいつはこの新聞で見ると、無頼漢だと書いてあるではないか。そんなやつは一層《いっそ》その時に死んでしまった方が、どのくらい世間でも助かったか知れないだろう。」
「それがあの頃は、極《ごく》正直な、人の好《い》い人間で、捕虜の中にも、あんな柔順なやつは珍らしいくらいだったのだ。だから軍医官でも何でも、妙にあいつが可愛いかったと見えて、特別によく療治をしてやったらしい。あいつはまた身の上話をしても、なかなか面白い事を云っていた。殊にあいつが頸に重傷を負って、馬から落ちた時の心もちを僕に話して聞かせたのは、今でもちゃんと覚えている。ある川のふちの泥の中にころがりながら、川楊《かわやなぎ》の木の空を見ていると、母親の裙子《くんし》だの、女の素足《すあし》だの、花の咲いた胡麻《ごま》畑だのが、はっきりその空へ見えたと云うのだが。」
木村少佐は葉巻を捨てて、珈琲《コオヒイ》茶碗を唇へあてながら、テエブルの上の紅梅へ眼をやって、独り語《ごと》のように語《ことば》を次いだ。
「あいつはそれを見た時に、しみじみ今までの自分の生活が浅ましくなって来たと云っていたっけ。」
「それが戦争がすむと、すぐに無
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