が、一つテエブルを囲みながら、一碗の珈琲《コオヒイ》と一本の葉巻とに忙しさを忘れて、のどかな雑談に耽《ふけ》っていた。早春とは云いながら、大きなカミンに火が焚《た》いてあるので、室《しつ》の中はどうかすると汗がにじむほど暖い。そこへテエブルの上へのせた鉢植えの紅梅が時々|支那《しな》めいた匂を送って来る。
 二人の間の話題は、しばらく西太后《せいたいこう》で持ち切っていたが、やがてそれが一転して日清《にっしん》戦争当時の追憶になると、木村少佐は何を思ったか急に立ち上って、室の隅に置いてあった神州日報の綴《と》じこみを、こっちのテエブルへ持って来た。そうして、その中の一枚を山川技師の眼の前へひろげると、指である箇所をさしながら、読み給えと云う眼つきをした。それがあまり唐突《とうとつ》だったので、技師はちょいと驚いたが、相手の少佐が軍人に似合わない、洒脱《しゃだつ》な人間だと云う事は日頃からよく心得ている。そこで咄嗟《とっさ》に、戦争に関係した奇抜な逸話を予想しながら、その紙面へ眼をやると、果してそこには、日本の新聞口調に直すとこんな記事が、四角な字ばかりで物々しく掲《かか》げてあった。
 ――街《がい》の剃頭店《ていとうてん》主人、何小二《かしょうじ》なる者は、日清戦争に出征して、屡々《しばしば》勲功を顕《あらわ》したる勇士なれど、凱旋《がいせん》後とかく素行|修《おさま》らず、酒と女とに身を持崩《もちくず》していたが、去る――日《にち》、某酒楼にて飲み仲間の誰彼と口論し、遂に掴《つか》み合いの喧嘩となりたる末、頸部に重傷を負い即刻絶命したり。ことに不思議なるは同人の頸部なる創《きず》にして、こはその際|兇器《きょうき》にて傷《きずつ》けられたるものにあらず、全く日清戦争中戦場にて負いたる創口が、再《ふたたび》、破れたるものにして、実見者の談によれば、格闘中同人が卓子《テエブル》と共に顛倒するや否や、首は俄然|喉《のど》の皮一枚を残して、鮮血と共に床上《しょうじょう》に転《まろ》び落ちたりと云う。但《ただし》、当局はその真相を疑い、目下犯人厳探中の由なれども、諸城《しょじょう》の某甲《ぼうこう》が首の落ちたる事は、載せて聊斎志異《りょうさいしい》にもあれば、該《がい》何小二の如きも、その事なしとは云う可《べか》らざるか。云々。
 山川技師は読み了《おわ》ると共に、呆《
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