に、それが何となく、不安になつて来たので「何か御用かな。」と訊いて見た。
すると、蛮僧が云つた。「あなたでせうな、酒が好きなのは。」
「さやう。」劉は、あまり問が唐突《だしぬけ》なので、曖昧な返事をしながら、救を求めるやうに、孫先生の方を見た。孫先生は、すまして、独りで、盤面に石を下してゐる。まるで、取り合ふ容子はない。
「あなたは、珍しい病に罹つて御出になる。それを御存知ですかな。」蛮僧は念を押すやうに、かう云つた。劉は、病と聞いたので、けげんな顔をして、竹婦人を撫《な》でながら、
「病――ですかな。」
「さうです。」
「いや、幼少の時から……」劉が何か云はうとすると、蛮僧はそれを遮《さへぎ》つて、
「酒を飲まれても、酔ひますまいな。」
「……」劉は、ぢろぢろ、相手の顔を見ながら、口を噤《つぐ》んでしまつた。実際この男は、いくら酒を飲んでも、酔つた事がないのである。
「それが、病の証拠ですよ。」蛮僧は、うす笑《わらひ》をしながら、語をついで、「腹中に酒虫がゐる。それを除かないと、この病は癒《なほ》りません。貧道は、あなたの病を癒しに来たのです。」
「癒りますかな。」劉は思はず覚束《おぼつか》なさうな声を出した。さうして、自分でそれを恥ぢた。
「癒ればこそ、来ましたが。」
すると、今まで、黙つて、問答を聞いてゐた孫先生が、急に語を挟んだ。
「何か、薬でも御用ひか。」
「いや、薬なぞは用ひるまでもありません。」蛮僧は不愛想《ぶあいさう》に、かう答へた。
孫先生は、元来、道仏の二教を殆、無理由に軽蔑してゐる。だから、道士とか僧侶とかと一しよになつても、口をきいた事は滅多《めつた》にない。それが、今ふと口を出す気になつたのは、全く酒虫と云ふ語の興味に動かされたからで、酒の好きな先生は、これを聞くと、自分の腹の中にも、酒虫がゐはしないかと、聊《いささか》、不安になつて来たのである。所が、蛮僧の不承不承な答を聞くと、急に、自分が莫迦《ばか》にされたやうな気がしたので、先生はちよいと顔をしかめながら、又元の通り、黙々として棋子を下しはじめた。さうして、それと同時に、内心、こんな横柄な坊主に会つたり何ぞする主人の劉を、莫迦げてゐると思ひ出した。
劉の方では、勿論そんな事には頓着《とんちやく》しない。
「では、針でも使ひますかな。」
「なに、もつと造作のない事です。」
「で
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