に書いていました。この奥さんの年をとっているのもあるいはそんなためではないでしょうか? 僕はまだ五十を越していないのに髪の白い奥さんを見る度にどうもそんなことを考えやすいのです。しかし僕等四人だけはとにかくしゃべりつづけにしゃべっていました。するとM子さんは何を見たのか、「あら、いや」と言ってK君の腕を抑えました。
「何です? 僕は蛇《へび》でも出たのかと思った。」
 それは実際何でもない。ただ乾いた山砂の上に細《こま》かい蟻《あり》が何匹も半死半生《はんしはんしょう》の赤蜂《あかはち》を引きずって行こうとしていたのです。赤蜂は仰《あおむ》けになったなり、時々|裂《さ》けかかった翅《はね》を鳴らし、蟻の群を逐《お》い払っています。が、蟻の群は蹴散《けち》らされたと思うと、すぐにまた赤蜂の翅や脚にすがりついてしまうのです。僕等はそこに立ちどまり、しばらくこの赤蜂のあがいているのを眺めていました。現にM子さんも始めに似合《にあ》わず、妙に真剣な顔をしたまま、やはりK君の側に立っていたのです。
「時々|剣《けん》を出しますわね。」
「蜂の剣は鉤《かぎ》のように曲っているものですね。」
 僕は誰も黙っているものですから、M子さんとこんな話をしていました。
「さあ、行《い》きましょう。あたしはこんなものを見るのは大嫌い。」
 M子さんのお母さんは誰よりも先きに歩き出しました。僕等も歩き出したのは勿論《もちろん》です。松林は路をあましたまま、ひっそりと高い草を伸ばしていました。僕等の話し声はこの松林の中に存外《ぞんがい》高い反響を起しました。殊にK君の笑い声は――K君はS君やM子さんにK君の妹さんのことを話していました。この田舎《いなか》にいる妹さんは女学校を卒業したばかりらしいのです。が、何でも夫になる人は煙草ものまなければ酒ものまない、品行方正の紳士でなければならないと言っていると云うことです。
「僕等は皆落第ですね?」
 S君は僕にこう言いました。が、僕の目にはいじらしいくらい、妙にてれ切った顔をしていました。
「煙草ものまなければ酒ものまないなんて、……つまり兄貴《あにき》へ当てつけているんだね。」
 K君も咄嗟《とっさ》につけ加えました。僕は善《い》い加減《かげん》な返事をしながら、だんだんこの散歩を苦にし出しました。従って突然M子さんの「もう帰りましょう」と言った時
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