ら東西両洋の間に横はる橋梁《けうりやう》にならうと思つてゐる。かう云ふ先生にとつて、奥さんと岐阜提灯と、その提灯によつて代表される日本の文明とが、或調和を保つて、意識に上るのは決して不快な事ではない。
 所が、何度かこんな満足を繰返してゐる中に、先生は、追々、読んでゐる中でも、思量がストリントベルクとは、縁の遠くなるのに気がついた。そこで、ちよいと、忌々《いまいま》しさうに頭を振つて、それから又丹念に、眼を細《こまか》い活字の上へ曝《さら》しはじめた。すると、丁度、今読みかけた所にこんな事が書いてある。
 ――俳優が最も普通なる感情に対して、或一つの恰好な表現法を発見し、この方法によつて成功を贏《か》ち得る時、彼は時宜《じぎ》に適すると適せざるとを問はず、一面にはそれが楽である所から、又一面には、それによつて成功する所から、動《やや》もすればこの手段に赴かんとする。しかし夫《それ》が即ち型《マニイル》なのである。……
 先生は、由来、芸術――殊に演劇とは、風馬牛《ふうばぎう》の間柄である。日本の芝居でさへ、この年まで何度と数へる程しか、見た事がない。――嘗《かつ》て或学生の書いた小説の
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