横柄《おうへい》に申しました。
するとその時でございます。ひっそりと静まり返った人々の中から、急にけたたましい泣き声をあげて、さっき竹馬を持っていた童部《わらべ》が一人、切禿《きりかむろ》の髪を躍らせながら、倒れている鍛冶《かじ》の傍へ、転がるように走り寄ったのは。
「阿父《おとっ》さん。阿父さんてば。よう。阿父さん。」
童部《わらべ》はこう何度も喚《わめ》きましたが、鍛冶はさらに正気《しょうき》に還る気色《けしき》もございません。あの唇にたまった泡さえ、不相変《あいかわらず》花曇りの風に吹かれて、白く水干《すいかん》の胸へ垂れて居ります。
「阿父さん。よう。」
童部《わらべ》はまたこう繰り返しましたが、鍛冶が返事をしないのを見ると、たちまち血相を変えて、飛び立ちながら、父の手に残っている竹馬を両手でつかむが早いか、沙門を目がけて健気《けなげ》にも、まっしぐらに打ってかかりました。が、沙門はその竹馬を、持っていた画像《えすがた》の旗竿で、事もなげに払いながら、またあの気味の悪い笑《えみ》を洩らしますと、わざと柔《やさ》しい声を出して、「これは滅相な。御主《おぬし》の父親《てておや》が気を失ったのは、この摩利信乃法師《まりしのほうし》がなせる業《わざ》ではないぞ。さればわしを窘《くるし》めたとて、父親が生きて返ろう次第はない。」と、たしなめるように申しました。
その道理が童部《わらべ》に通じたと云うよりは、所詮この沙門と打ち合っても、勝てそうもないと思ったからでございましょう。鍛冶の小伜は五六度竹馬を振りまわした後で、べそを掻いたまま、往来のまん中へ立ちすくんでしまいました。
十一
摩利信乃法師《まりしのほうし》はこれを見ると、またにやにや微笑《ほほえ》みながら、童部《わらべ》の傍《かたわら》へ歩みよって、
「さても御主《おぬし》は、聞分けのよい、年には増した利発な子じゃ。そう温和《おとな》しくして居《お》れば、諸天童子も御主にめでて、ほどなくそこな父親《てておや》も正気《しょうき》に還して下されよう。わしもこれから祈祷《きとう》しょうほどに、御主もわしを見慣うて、天上皇帝の御慈悲に御すがり申したがよかろうぞ。」
こう云うと沙門は旗竿を大きく両腕に抱《いだ》きながら、大路《おおじ》のただ中に跪《ひざまず》いて、恭《うやうや》しげに頭を垂れました。そうして眼をつぶったまま、何やら怪しげな陀羅尼《だらに》のようなものを、声高《こわだか》に誦《ず》し始めました。それがどのくらいつづいた事でございましょう。沙門のまわりに輪を作って、この不思議な加持《かじ》のし方を眺めている私どもには、かれこれものの半時もたったかと思われるほどでございましたが、やがて沙門が眼を開いて、脆いたなり伸ばした手を、鍛冶《かじ》の顔の上へさしかざしますと、見る見る中にその顔が、暖かく血の色を盛返して、やがて苦しそうな呻《うな》り声さえ、例の泡だらけな口の中から、一しきり長く溢れて参りました。
「やあ、阿父《おとっ》さんが、生き返った。」
童部《わらべ》は竹馬を抛り出すと、嬉しそうに小躍りして、また父親の傍へ走りよりました。が、その手で抱《だ》き起されるまでもなく、呻り声を洩らすとほとんど同時に、鍛冶はまるで酒にでも酔ったかと思うような、覚束ない身のこなしで、徐《おもむろ》に体を起しました。すると沙門はさも満足そうに、自分も悠然と立ち上って、あの女菩薩《にょぼさつ》の画像《えすがた》を親子のものの頭《かしら》の上に、日を蔽う如くさしかざすと、
「天上皇帝の御威徳は、この大空のように広大無辺じゃ。何と信を起されたか。」と、厳《おごそ》かにこう申しました。
鍛冶の親子は互にしっかり抱《いだ》き合いながら、まだ土の上に蹲《うずくま》って居りましたが、沙門の法力《ほうりき》の恐ろしさには、魂も空にけし飛んだのでございましょう。女菩薩の幢《はた》を仰ぎますと、二人とも殊勝げな両手を合せて、わなわな震えながら、礼拝《らいはい》いたしました。と思うとつづいて二三人、まわりに立っている私どもの中にも、笠を脱いだり、烏帽子を直したりして、画像《えすがた》を拝んだものが居ったようでございます。ただ私は何となく、その沙門や女菩薩の画像が、まるで魔界の風に染んでいるような、忌《いま》わしい気が致しましたから、鍛冶が正気に還ったのを潮《しお》に、※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》その場を立ち去ってしまいました。
後で人の話を承わりますと、この沙門の説教致しますのが、震旦《しんたん》から渡って参りました、あの摩利《まり》の教と申すものだそうで、摩利信乃法師《まりしのほうし》と申します男も、この国の生れやら、乃至《ないし》は唐土《もろこし》に人となったものやら、とんと確かなことはわからないと云う事でございました。中にはまた、震旦でも本朝でもない、天竺《てんじく》の涯《はて》から来た法師で、昼こそあのように町を歩いているが、夜は墨染の法衣《ころも》が翼になって、八阪寺《やさかでら》の塔の空へ舞上るなどと云う噂もございましたが、元よりそれはとりとめもない、嘘だったのでございましょう。が、さような噂が伝わりましたのも、一応はもっともかと存じられますくらい、この摩利信乃法師の仕業には、いろいろ幻妙な事が多かったのでございます。
十二
と申しますのは、まず第一に摩利信乃法師《まりしのほうし》が、あの怪しげな陀羅尼《だらに》の力で、瞬く暇に多くの病者を癒《なお》した事でございます。盲目《めしい》が見えましたり、跛《あしなえ》が立ちましたり、唖《おし》が口をききましたり――一々数え立てますのも、煩わしいくらいでございますが、中でも一番名高かったのは、前《さき》の摂津守《せっつのかみ》の悩んでいた人面瘡《にんめんそう》ででもございましょうか。これは甥《おい》を遠矢にかけて、その女房を奪ったとやら申す報《むくい》から、左の膝頭にその甥の顔をした、不思議な瘡《かさ》が現われて、昼も夜も骨を刻《けず》るような業苦《ごうく》に悩んで居りましたが、あの沙門の加持《かじ》を受けますと、見る間にその顔が気色《けしき》を和《やわら》げて、やがて口とも覚しい所から「南無《なむ》」と云う声が洩れるや否や、たちまち跡方《あとかた》もなく消え失せたと申すのでございます。元よりそのくらいでございますから、狐の憑《つ》きましたのも、天狗の憑《つ》きましたのも、あるいはまた、何とも名の知れない、妖魅鬼神《ようみきじん》の憑きましたのも、あの十文字《じゅうもんじ》の護符を頂きますと、まるで木《こ》の葉を食う虫が、大風にでも振われて落ちるように、すぐさま落ちてしまいました。
が、摩利信乃法師の法力が評判になったのは、それだからばかりではございません。前にも私が往来で見かけましたように、摩利の教を誹謗《ひぼう》したり、その信者を呵責《かしゃく》したり致しますと、あの沙門は即座にその相手に、恐ろしい神罰を祈り下しました。おかげで井戸の水が腥《なまぐさ》い血潮に変ったものもございますし、持《も》ち田《だ》の稲を一夜《いちや》の中に蝗《いなむし》が食ってしまったものもございますが、あの白朱社《はくしゅしゃ》の巫女《みこ》などは、摩利信乃法師を祈り殺そうとした応報で、一目見るのさえ気味の悪い白癩《びゃくらい》になってしまったそうでございます。そこであの沙門は天狗の化身《けしん》だなどと申す噂が、一層高くなったのでございましょう。が、天狗ならば一矢に射てとって見せるとか申して、わざわざ鞍馬の奥から参りました猟師も、例の諸天童子の剣《つるぎ》にでも打たれたのか、急に目がつぶれた揚句《あげく》、しまいには摩利の教の信者になってしまったとか申す事でございました。
そう云う勢いでございますから、日が経《ふ》るに従って、信者になる老若男女《ろうにゃくなんにょ》も、追々数を増して参りましたが、そのまた信者になりますには、何でも水で頭《かしら》を濡《ぬら》すと云う、灌頂《かんちょう》めいた式があって、それを一度すまさない中は、例の天上皇帝に帰依《きえ》した明りが立ち兼《か》ねるのだそうでございます。これは私の甥が見かけたことでございますが、ある日四条の大橋を通りますと、橋の下の河原に夥《おびただ》しい人だかりが致して居りましたから、何かと存じて覗《のぞ》きました所、これもやはり摩利信乃法師が東国者らしい侍に、その怪しげな灌頂の式を授けて居《お》るのでございました。何しろ折からの水が温《ぬる》んで、桜の花も流れようと云う加茂川へ、大太刀を佩《は》いて畏《かしこま》った侍と、あの十文字の護符を捧げている異形《いぎょう》な沙門とが影を落して、見慣れない儀式を致していたと申すのでございますから、余程面白い見物《みもの》でございましたろう。――そう云えば、前に申し上げる事を忘れましたが、摩利信乃法師は始めから、四条河原の非人《ひにん》小屋の間へ、小さな蓆張《むしろば》りの庵《いおり》を造りまして、そこに始終たった一人、佗《わび》しく住んでいたのでございます。
十三
そこでお話は元へ戻りますが、その間に若殿様は、思いもよらない出来事から、予《かね》て御心を寄せていらしった中御門《なかみかど》の御姫様と、親しい御語いをなさる事が御出来なさるように相成りました。その思いもよらない事と申しますのは、もう花橘《はなたちばな》の※[#「均−土」、第3水準1−14−75]《におい》と時鳥《ほととぎす》の声とが雨もよいの空を想《おも》わせる、ある夜の事でございましたが、その夜は珍しく月が出て、夜目にも、朧《おぼろ》げには人の顔が見分けられるほどだったと申します。若殿様はある女房の所へ御忍びになった御帰り途で、御供の人数《にんず》も目立たないように、僅か一人か二人御召連れになったまま、その明るい月の中を車でゆっくりと御出でになりました。が、何しろ時刻が遅いので、人っ子一人通らない往来には、遠田《とおだ》の蛙《かわず》の声と、車の輪の音とが聞えるばかり、殊にあの寂しい美福門《びふくもん》の外は、よく狐火の燃える所だけに、何となく鬼気が身に迫って、心無い牛の歩みさえ早くなるような気が致されます。――そう思うと、急に向うの築土《ついじ》の陰で、怪しい咳《しわぶき》の声がするや否や、きらきらと白刃《しらは》を月に輝かせて、盗人と覚しい覆面の男が、左右から凡そ六七人、若殿様の車を目がけて、猛々《たけだけ》しく襲いかかりました。
と同時に牛飼《うしかい》の童部《わらべ》を始め、御供の雑色《ぞうしき》たちは余りの事に、魂も消えるかと思ったのでございましょう。驚破《すわ》と云う間もなく、算《さん》を乱して、元来た方へ一散に逃げ出してしまいました。が、盗人たちはそれには目もくれる気色《けしき》もなく、矢庭《やにわ》に一人が牛の※[#「革+橿のつくり」、第3水準1−93−81]《はづな》を取って、往来のまん中へぴたりと車を止めるが早いか、四方から白刃《しらは》の垣を造って、犇々《ひしひし》とそのまわりを取り囲みますと、先ず頭立《かしらだ》ったのが横柄に簾《すだれ》を払って、「どうじゃ。この殿に違いはあるまいな。」と、仲間の方を振り向きながら、念を押したそうでございます。その容子《ようす》がどうも物盗りとも存ぜられませんので、御驚きの中にも若殿様は不審に思召されたのでございましょう。それまでじっとしていらっしったのが、扇を斜《ななめ》に相手の方を、透かすようにして御窺いなさいますと、その時その盗人の中に嗄《しわが》れた声がして、
「おう、しかとこの殿じゃ。」と、憎々《にくにく》しげに答えました。するとその声が、また何となくどこかで一度、御耳になすったようでございましたから、愈《いよいよ》怪しく思召して、明るい月の光に、その声の主《ぬし》を、きっと御覧になりますと、面《おもて》こそ包んで居りま
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