いますが、よもやこの洛中に、白昼さような変化《へんげ》の物が出没致す事はございますまい。」
 すると若殿様はまた元のように、冴々《さえざえ》した御笑声《おわらいごえ》で、
「いや、何とも申されぬ。現に延喜《えんぎ》の御門《みかど》の御代《みよ》には、五条あたりの柿の梢に、七日《なのか》の間天狗が御仏《みほとけ》の形となって、白毫光《びゃくごうこう》を放ったとある。また仏眼寺《ぶつげんじ》の仁照阿闍梨《にんしょうあざり》を日毎に凌《りょう》じに参ったのも、姿は女と見えたが実は天狗じゃ。」
「まあ、気味の悪い事を仰有《おっしゃ》います。」
 御姫様は元より、二人の女房も、一度にこう云って、襲《かさね》の袖を合せましたが、若殿様は、愈御酒《いよいよごしゅ》機嫌の御顔を御和《おやわら》げになって、
「三千世界は元より広大無辺じゃ。僅ばかりの人間の智慧《ちえ》で、ないと申される事は一つもない。たとえばその沙門に化けた天狗が、この屋形の姫君に心を懸けて、ある夜ひそかに破風《はふ》の空から、爪だらけの手をさしのべようも、全くない事じゃとは誰も云えぬ。が、――」と仰有《おっしゃ》りながら、ほとんど色も
前へ 次へ
全99ページ中61ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング