、元来た方へ一散に逃げ出してしまいました。が、盗人たちはそれには目もくれる気色《けしき》もなく、矢庭《やにわ》に一人が牛の※[#「革+橿のつくり」、第3水準1−93−81]《はづな》を取って、往来のまん中へぴたりと車を止めるが早いか、四方から白刃《しらは》の垣を造って、犇々《ひしひし》とそのまわりを取り囲みますと、先ず頭立《かしらだ》ったのが横柄に簾《すだれ》を払って、「どうじゃ。この殿に違いはあるまいな。」と、仲間の方を振り向きながら、念を押したそうでございます。その容子《ようす》がどうも物盗りとも存ぜられませんので、御驚きの中にも若殿様は不審に思召されたのでございましょう。それまでじっとしていらっしったのが、扇を斜《ななめ》に相手の方を、透かすようにして御窺いなさいますと、その時その盗人の中に嗄《しわが》れた声がして、
「おう、しかとこの殿じゃ。」と、憎々《にくにく》しげに答えました。するとその声が、また何となくどこかで一度、御耳になすったようでございましたから、愈《いよいよ》怪しく思召して、明るい月の光に、その声の主《ぬし》を、きっと御覧になりますと、面《おもて》こそ包んで居りま
前へ 次へ
全99ページ中40ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
芥川 竜之介 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング