はございません。あの頃の年若な殿上人《てんじょうびと》で、中御門《なかみかど》の御姫様に想《おも》いを懸けないものと云ったら、恐らく御一方もございますまい。あの方が阿父様《おとうさま》の代から、ずっと御住みになっていらっしゃる、二条|西洞院《にしのとういん》の御屋形《おやかた》のまわりには、そう云う色好みの方々が、あるいは車を御寄せになったり、あるいは御自身御拾いで御出でになったり、絶えず御通い遊ばしたものでございます。中には一夜《いちや》の中に二人まで、あの御屋形の梨《なし》の花の下で、月に笛を吹いている立烏帽子《たてえぼし》があったと云う噂も、聞き及んだ事がございました。
いや、現に一時は秀才の名が高かった菅原雅平《すがわらまさひら》とか仰有る方も、この御姫様に恋をなすって、しかもその恋がかなわなかった御恨みから、俄《にわか》に世を御捨てになって、ただ今では筑紫《つくし》の果に流浪して御出でになるとやら、あるいはまた東海の波を踏んで唐土《もろこし》に御渡りになったとやら、皆目御行方《かいもくおゆくえ》が知れないと申すことでございます。この方などは若殿様とも、詩文の御交りの深かった
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