はたはたと扇を御鳴らしになりながら、例の気軽な御調子で、
「それは重畳《ちょうじょう》じゃ。何、予が頼みと申しても、格別むずかしい儀ではない。それ、そこに居《お》る老爺《おやじ》は、少納言殿の御内人《みうちびと》で、平太夫《へいだゆう》と申すものであろう。巷《ちまた》の風聞《ふうぶん》にも聞き及んだが、そやつは日頃予に恨みを含んで、あわよくば予が命を奪おうなどと、大それた企てさえ致して居《お》ると申す事じゃ。さればその方どもがこの度の結構も、平太夫めに唆《そそのか》されて、事を挙げたのに相違あるまい。――」
「さようでございます。」
これは盗人たちが三四人、一度に覆面の下から申し上げました。
「そこで予が頼みと申すのは、その張本《ちょうぼん》の老爺《おやじ》を搦《から》めとって、長く禍の根を断ちたいのじゃが、何とその方どもの力で、平太夫めに縄をかけてはくれまいか。」
この御仰《おんおお》せには、盗人たちも、余りの事にしばらくの間は、呆れ果てたのでございましょう。車をめぐっていた覆面の頭《かしら》が、互に眼を見合わしながら、一しきりざわざわと動くようなけはいがございましたが、やがてそれがまた静かになりますと、突然盗人たちの唯中から、まるで夜鳥《よどり》の鳴くような、嗄《しわが》れた声が起りました。
「やい、ここなうっそりどもめ。まだ乳臭いこの殿の口車に乗せられ居って、抜いた白刃を持て扱うばかりか、おめおめ御意に従いましょうなどとは、どの面下げて申せた義理じゃ。よしよし、ならば己《おの》れらが手は借りぬわ。高がこの殿の命一つ、平太夫が太刀ばかりで、見事申し受けようも、瞬く暇じゃ。」
こう申すや否や平太夫は、太刀をまっこうにふりかざしながら、やにわに若殿様へ飛びかかろうと致しました。が、その飛びかかろうと致したのと、頭だった盗人が、素早く白刃を投げ出して、横あいからむずと組みついたのとが、ほとんど同時でございます。するとほかの盗人たちも、てんでに太刀を鞘におさめて、まるで蝗《いなむし》か何かのように、四方から平太夫へ躍りかかりました。何しろ多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》と云い、こちらは年よりの事でございますから、こうなっては勝負を争うまでもございません。たちまちの内にあの老爺《おやじ》は、牛の※[#「革+橿のつくり」、第3水準1−93−81]《はづな》でございましょう、有り合せた縄にかけられて、月明りの往来へ引き据えられてしまいました。その時の平太夫の姿と申しましたら、とんと穽《わな》にでもかかった狐のように、牙ばかりむき出して、まだ未練らしく喘《あえ》ぎながら、身悶えしていたそうでございます。
するとこれを御覧になった若殿様は、欠伸《あくび》まじりに御笑いになって、
「おお、大儀。大儀。それで予の腹も一先《ひとまず》癒えたと申すものじゃ。が、とてもの事に、その方どもは、予が車を警護|旁《かたがた》、そこな老耄《おいぼれ》を引き立て、堀川の屋形《やかた》まで参ってくれい。」
こう仰有《おっしゃ》られて見ますと盗人たちも、今更いやとは申されません。そこで一同うち揃って、雑色《ぞうしき》がわりに牛を追いながら、縄つきを中にとりまいて、月夜にぞろぞろと歩きはじめました。天《あめ》が下《した》は広うございますが、かように盗人どもを御供に御つれ遊ばしたのは、まず若殿様のほかにはございますまい。もっともこの異様な行列も、御屋形まで参りつかない内に、急を聞いて駆けつけた私どもと出会いましたから、その場で面々御褒美を頂いた上、こそこそ退散致してしまいました。
十六
さて若殿様は平太夫《へいだゆう》を御屋形へつれて御帰りになりますと、そのまま、御厩《おうまや》の柱にくくりつけて、雑色《ぞうしき》たちに見張りを御云いつけなさいましたが、翌朝は※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々《そうそう》あの老爺《おやじ》を、朝曇りの御庭先へ御召しになって、
「こりゃ平太夫、その方が少納言殿の御恨《おうらみ》を晴そうと致す心がけは、成程|愚《おろか》には相違ないが、さればとてまた、神妙とも申されぬ事はない。殊にあの月夜に、覆面の者どもを駆り催して、予を殺害《せつがい》致そうと云う趣向のほどは、中々その方づれとも思われぬ風流さじゃ。が、美福門のほとりは、ちと場所がようなかったぞ。ならば糺《ただす》の森あたりの、老木《おいき》の下闇に致したかった。あすこは夏の月夜には、せせらぎの音が間近く聞えて、卯《う》の花の白く仄《ほのめ》くのも一段と風情《ふぜい》を添える所じゃ。もっともこれはその方づれに、望む予の方が、無理かも知れぬ。ついてはその殊勝なり、風流なのが目出たいによって、今度ばかりはその方の罪も赦《ゆる》してつかわす事にしよう。」
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