だいひょうひまん》でいらっしゃいますが、若殿様は中背《ちゅうぜい》の、どちらかと申せば痩ぎすな御生れ立ちで、御容貌《ごきりょう》も大殿様のどこまでも男らしい、神将のような俤《おもかげ》とは、似もつかない御優しさでございます。これはあの御美しい北の方《かた》に、瓜二《うりふた》つとでも申しましょうか。眉の迫った、眼の涼しい、心もち口もとに癖のある、女のような御顔立ちでございましたが、どこかそこにうす暗い、沈んだ影がひそんでいて、殊に御装束でも召しますと、御立派と申しますより、ほとんど神寂《かみさび》ているとでも申し上げたいくらい、いかにももの静な御威光がございました。
 が、大殿様と若殿様とが、取り分け違っていらしったのは、どちらかと云えば、御気象の方で、大殿様のなさる事は、すべてが豪放《ごうほう》で、雄大で、何でも人目《ひとめ》を驚かさなければ止まないと云う御勢いでございましたが、若殿様の御好みは、どこまでも繊細で、またどこまでも優雅な趣がございましたように存じて居ります。たとえば大殿様の御心もちが、あの堀川の御所《ごしょ》に窺《うかが》われます通り、若殿様が若王子《にゃくおうじ》に御造りになった竜田《たつた》の院は、御規模こそ小そうございますが、菅相丞《かんしょうじょう》の御歌をそのままな、紅葉《もみじ》ばかりの御庭と申し、その御庭を縫っている、清らかな一すじの流れと申し、あるいはまたその流れへ御放しになった、何羽とも知れない白鷺《しらさぎ》と申し、一つとして若殿様の奥床しい御思召《おおぼしめ》しのほどが、現れていないものはございません。
 そう云う次第でございますから、大殿様は何かにつけて、武張《ぶば》った事を御好みになりましたが、若殿様はまた詩歌管絃《しいかかんげん》を何よりも御喜びなさいまして、その道々の名人上手とは、御身分の上下も御忘れになったような、隔てない御つき合いがございました。いや、それもただ、そう云うものが御好きだったと申すばかりでなく、御自分も永年御心を諸芸の奥秘《おうひ》に御潜めになったので、笙《しょう》こそ御吹きになりませんでしたが、あの名高い帥民部卿《そちのみんぶきょう》以来、三舟《さんしゅう》に乗るものは、若殿様|御一人《おひとり》であろうなどと、噂のあったほどでございます。でございますから、御家の集《しゅう》にも、若殿様の秀句や名歌が、今に沢山残って居りますが、中でも世上に評判が高かったのは、あの良秀《よしひで》が五趣生死《ごしゅしょうじ》の図を描《か》いた竜蓋寺《りゅうがいじ》の仏事の節、二人の唐人《からびと》の問答を御聞きになって、御詠《およ》みになった歌でございましょう。これはその時|磬《うちならし》の模様に、八葉《はちよう》の蓮華《れんげ》を挟《はさ》んで二羽の孔雀《くじゃく》が鋳《い》つけてあったのを、その唐人たちが眺めながら、「捨身惜花思《しゃしんしゃっかし》」と云う一人の声の下から、もう一人が「打不立有鳥《だふりゅううちょう》」と答えました――その意味合いが解《げ》せないので、そこに居合わせた人々が、とかくの詮議立てをして居りますと、それを御聞きになった若殿様が、御持ちになった扇の裏へさらさらと美しく書き流して、その人々のいる中へ御遣《おつかわ》しになった歌でございます。
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身をすてて花を惜しやと思ふらむ打てども
立たぬ鳥もありけり
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        三

 大殿様と若殿様とは、かように万事がかけ離れていらっしゃいましたから、それだけまた御二方《おふたかた》の御仲《おんなか》にも、そぐわない所があったようでございます。これにも世間にはとかくの噂がございまして、中には御親子《ごしんし》で、同じ宮腹《みやばら》の女房を御争いになったからだなどと、申すものもございますが、元よりそのような莫迦《ばか》げた事があろう筈はございません。何でも私《わたくし》の覚えて居ります限りでは、若殿様が十五六の御年に、もう御二方の間には、御不和の芽がふいていたように御見受け申しました。これが前にもちょいと申し上げて置きました、若殿様が笙《しょう》だけを御吹きにならないと云う、その謂《い》われに縁のある事なのでございます。
 その頃、若殿様は大そう笙を御好みで、遠縁の従兄《いとこ》に御当りなさる中御門《なかみかど》の少納言《しょうなごん》に、御弟子入《おでしいり》をなすっていらっしゃいました。この少納言は、伽陵《がりょう》と云う名高い笙と、大食調入食調《だいじきちょうにゅうじきちょう》の譜とを、代々御家に御伝えになっていらっしゃる、その道でも稀代《きだい》の名人だったのでございます。
 若殿様はこの少納言の御手許で、長らく切磋琢磨《せっさたくま》の功を御積みにな
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