いずこ》かにて金剛邪禅《こんごうじゃぜん》の法を修した外道《げどう》の沙門と心得る。じゃによって一つは三宝の霊験《れいげん》を示さんため、一つはその方の魔縁に惹《ひ》かれて、無間地獄《むげんじごく》に堕ちようず衆生《しゅじょう》を救うてとらさんため、老衲《ろうのう》自らその方と法験《ほうげん》を較べに罷《まか》り出《いで》た。たといその方の幻術がよく鬼神を駆り使うとも、護法の加護ある老衲には一指を触るる事すらよも出来まい。されば仏力《ぶつりき》の奇特《きどく》を見て、その方こそ受戒致してよかろう。」と、大獅子孔《だいししく》を浴せかけ、たちまち印《いん》を結ばれました。
三十二
するとその印を結んだ手の中《うち》から、俄《にわか》に一道の白気《はっき》が立上《たちのぼ》って、それが隠々と中空《なかぞら》へたなびいたと思いますと、丁度|僧都《そうず》の頭《かしら》の真上に、宝蓋《ほうがい》をかざしたような一団の靄《もや》がたなびきました。いや、靄と申したのでは、あの不思議な雲気《うんき》の模様が、まだ十分|御会得《ごえとく》には参りますまい。もしそれが靄だったと致しましたら、その向うにある御堂《みどう》の屋根などは霞んで見えない筈でございますが、この雲気はただ、虚空《こくう》に何やら形の見えぬものが蟠《わだか》まったと思うばかりで、晴れ渡った空の色さえ、元の通り朗かに見透かされたのでございます。
御庭をめぐっていた人々は、いずれもこの雲気に驚いたのでございましょう。またどこからともなく風のようなざわめきが、御簾《みす》を動かすばかり起りましたが、その声のまだ終らない中に、印を結び直した横川《よかわ》の僧都《そうず》が、徐《おもむろ》に肉《しし》の余った顎《おとがい》を動かして、秘密の呪文《じゅもん》を誦《ず》しますと、たちまちその雲気の中に、朦朧とした二尊の金甲神《きんこうじん》が、勇ましく金剛杵《こんごうしょ》をふりかざしながら、影のような姿を現しました。これもあると思えばあり、ないと思えばないような幻ではございます。が、その宙を踏んで飛舞《ひぶ》する容子《ようす》は、今しも摩利信乃法師《まりしのほうし》の脳上へ、一杵《いっしょ》を加えるかと思うほど、神威を帯びて居ったのでございます。
しかし当の摩利信乃法師は、不相変《あいかわらず》高慢の
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