すさって、「おのれ、逃がしてたまろうか。」と、太刀をまっこうにふりかざしながら、苦しそうな声でおめきました。その声に驚いて私も素早く跳《は》ねのきながら、まだ燃えている芥火の光にきっと向うを透かして見ますと、まあ、どうでございましょう。粉微塵になった小屋の前には、あの無気味な摩利信乃法師が、薄色の袿《うちぎ》を肩にかけて、まるで猿《ましら》のように身をかがめながら、例の十文字の護符《ごふ》を額にあてて、じっと私どもの振舞を窺っているのでございます。これを見た私は、元よりすぐにも一刀浴びせようとあせりましたが、どう云うものか、あの沙門《しゃもん》の身をかがめたまわりには、自然と闇が濃くなるようで、容易に飛びかかる隙《すき》がございません。あるいはその闇の中に、何やら目に見えぬものが渦巻くようで、太刀の狙《ねら》いが定まらなかったとも申しましょうか。これは甥も同じ思いだったものと見えて、時々|喘《あえ》ぐように叫びますが、白刃はいつまでもその頭《かしら》の上に目まぐるしくくるくると輪ばかり描《か》いて居りました。

        二十七

 その中に摩利信乃法師《まりしのほうし》は、徐《おもむろ》に身を起しますと、十文字の護符を左右にふり立てながら、嵐の叫ぶような凄い声で、
「やい。おのれらは勿体《もったい》なくも、天上皇帝の御威徳を蔑《ないがしろ》に致す心得か。この摩利信乃法師が一身は、おのれらの曇った眼には、ただ、墨染の法衣《ころも》のほかに蔽うものもないようじゃが、真《まこと》は諸天童子の数を尽して、百万の天軍が守って居《お》るぞよ。ならば手柄《てがら》にその白刃《しらは》をふりかざして、法師の後《うしろ》に従うた聖衆《しょうじゅ》の車馬剣戟と力を競うて見るがよいわ。」と、末は嘲笑《あざわら》うように罵りました。
 元よりこう嚇《おど》されても、それに悸毛《おぞけ》を震う様な私どもではございません。甥と私とはこれを聞くと、まるで綱を放れた牛のように、両方からあの沙門を目蒐《めが》けて斬ってかかりました。いや、将《まさ》に斬ってかかろうとしたとでも申しましょうか。と申しますのは、私どもが太刀をふりかぶった刹那に、摩利信乃法師が十文字の護符を、一しきりまた頭《かしら》の上で、振りまわしたと思いますと、その護符の金色《こんじき》が、稲妻のように宙へ飛んで、たちまち私ど
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