、今に沢山残って居りますが、中でも世上に評判が高かったのは、あの良秀《よしひで》が五趣生死《ごしゅしょうじ》の図を描《か》いた竜蓋寺《りゅうがいじ》の仏事の節、二人の唐人《からびと》の問答を御聞きになって、御詠《およ》みになった歌でございましょう。これはその時|磬《うちならし》の模様に、八葉《はちよう》の蓮華《れんげ》を挟《はさ》んで二羽の孔雀《くじゃく》が鋳《い》つけてあったのを、その唐人たちが眺めながら、「捨身惜花思《しゃしんしゃっかし》」と云う一人の声の下から、もう一人が「打不立有鳥《だふりゅううちょう》」と答えました――その意味合いが解《げ》せないので、そこに居合わせた人々が、とかくの詮議立てをして居りますと、それを御聞きになった若殿様が、御持ちになった扇の裏へさらさらと美しく書き流して、その人々のいる中へ御遣《おつかわ》しになった歌でございます。
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身をすてて花を惜しやと思ふらむ打てども
立たぬ鳥もありけり
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三
大殿様と若殿様とは、かように万事がかけ離れていらっしゃいましたから、それだけまた御二方《おふたかた》の御仲《おんなか》にも、そぐわない所があったようでございます。これにも世間にはとかくの噂がございまして、中には御親子《ごしんし》で、同じ宮腹《みやばら》の女房を御争いになったからだなどと、申すものもございますが、元よりそのような莫迦《ばか》げた事があろう筈はございません。何でも私《わたくし》の覚えて居ります限りでは、若殿様が十五六の御年に、もう御二方の間には、御不和の芽がふいていたように御見受け申しました。これが前にもちょいと申し上げて置きました、若殿様が笙《しょう》だけを御吹きにならないと云う、その謂《い》われに縁のある事なのでございます。
その頃、若殿様は大そう笙を御好みで、遠縁の従兄《いとこ》に御当りなさる中御門《なかみかど》の少納言《しょうなごん》に、御弟子入《おでしいり》をなすっていらっしゃいました。この少納言は、伽陵《がりょう》と云う名高い笙と、大食調入食調《だいじきちょうにゅうじきちょう》の譜とを、代々御家に御伝えになっていらっしゃる、その道でも稀代《きだい》の名人だったのでございます。
若殿様はこの少納言の御手許で、長らく切磋琢磨《せっさたくま》の功を御積みにな
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