ル護士、――それ等の人々の家を見ることは僕にはいつも人生の中に地獄を見ることに異らなかった。
「この町には気違いが一人いますね」
「Hちゃんでしょう。あれは気違いじゃないのですよ。莫迦《ばか》になってしまったのですよ」
「早発性|痴呆《ちほう》と云うやつですね。僕はあいつを見る度に気味が悪くってたまりません。あいつはこの間もどう云う量見か、馬頭観世音《ばとうかんぜおん》の前にお時宜《じぎ》をしていました」
「気味が悪くなるなんて、……もっと強くならなければ駄目ですよ」
「兄さんは僕などよりも強いのだけれども、――」
 無精髭を伸ばした妻の弟も寝床の上に起き直ったまま、いつもの通り遠慮勝ちに僕等の話に加わり出した。
「強い中に弱いところもあるから。……」
「おやおや、それは困りましたね」
 僕はこう言った妻の母を見、苦笑しない訣には行かなかった。すると弟も微笑しながら、遠い垣の外の松林を眺め、何かうっとりと話しつづけた。(この若い病後の弟は時々僕には肉体を脱した精神そのもののように見えるのだった)
「妙に人間離れをしているかと思えば、人間的欲望もずいぶん烈しいし、……」
「善人かと思えば
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