ていた長篇のことを考え出した。それは推古から明治に至る各時代の民を主人公にし、大体三十余りの短篇を時代順に連ねた長篇だった。僕は火の粉の舞い上るのを見ながら、ふと宮城の前にある或銅像を思い出した。この銅像は甲冑《かっちゅう》を着、忠義の心そのもののように高だかと馬の上に跨《またが》っていた。しかし彼の敵だったのは、――
「※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]《うそ》!」
僕は又遠い過去から目近《まぢか》い現代へすべり落ちた。そこへ幸いにも来合せたのは或先輩の彫刻家だった。彼は不相変《あいかわらず》天鵞絨《びろうど》の服を着、短い山羊髯《やぎひげ》を反《そ》らせていた。僕は椅子から立ち上り、彼のさし出した手を握った。(それは僕の習慣ではない、パリやベルリンに半生を送った彼の習慣に従ったのだった)が、彼の手は不思議にも爬虫類《はちゅうるい》の皮膚のように湿っていた。
「君はここに泊っているのですか?」
「ええ、……」
「仕事をしに?」
「ええ、仕事もしているのです」
彼はじっと僕の顔を見つめた。僕は彼の目の中に探偵に近い表情を感じた。
「どうです、僕の部屋へ話しに来ては?」
僕は挑戦的に話しかけた。(この勇気に乏しい癖に忽ち挑戦的態度をとるのは僕の悪癖の一つだった)すると彼は微笑しながら、「どこ、君の部屋は?」と尋ね返した。
僕等は親友のように肩を並べ、静かに話している外国人たちの中を僕の部屋へ帰って行った。彼は僕の部屋へ来ると、鏡を後ろにして腰をおろした。それからいろいろのことを話し出した。いろいろのことを?――しかし大抵は女の話だった。僕は罪を犯した為に地獄に堕ちた一人に違いなかった。が、それだけに悪徳の話は愈僕を憂鬱にした。僕は一時的清教徒になり、それ等の女を嘲《あざけ》り出した。
「S子さんの唇《くちびる》を見給え。あれは何人もの接吻の為に……」
僕はふと口を噤《つぐ》み、鏡の中に彼の後ろ姿を見つめた。彼は丁度耳の下に黄いろい膏薬《こうやく》を貼《は》りつけていた。
「何人もの接吻の為に?」
「そんな人のように思いますがね」
彼は微笑して頷《うなず》いていた。僕は彼の内心では僕の秘密を知る為に絶えず僕を注意しているのを感じた。けれどもやはり僕等の話は女のことを離れなかった。僕は彼を憎むよりも僕自身の気の弱いのを恥じ、愈憂鬱にならずにはい
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