てゐた。彼は棗《なつめ》のやうにまるまると肥つた、短い顋髯《あごひげ》の持ち主だつた。僕は時間を気にしながら、時々彼と話をした。
「妙なこともありますね。××さんの屋敷には昼間でも幽霊が出るつて云ふんですが。」
「昼間でもね。」
 僕は冬の西日の当つた向うの松山を眺めながら、善《い》い加減に調子を合せてゐた。
「尤《もつと》も天気の善い日には出ないさうです。一番多いのは雨のふる日だつて云ふんですが。」
「雨のふる日に濡れに来るんぢやないか?」
「御常談《ごじやうだん》で。……しかしレエン・コオトを着た幽霊だつて云ふんです。」
 自動車はラツパを鳴らしながら、或停車場へ横着けになつた。僕は或理髪店の主人に別れ、停車場の中へはひつて行つた。すると果して上り列車は二三分前に出たばかりだつた。待合室のベンチにはレエン・コオトを着た男が一人ぼんやり外を眺めてゐた。僕は今聞いたばかりの幽霊の話を思ひ出した。が、ちよつと苦笑したぎり、兎《と》に角《かく》次の列車を待つ為に停車場前のカツフエへはひることにした。
 それはカツフエと云ふ名を与へるのも考へものに近いカツフエだつた。僕は隅のテエブルに坐り、
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