詩集
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)仮綴《かりと》ぢ

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一二冊|神田《かんだ》の

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]ひ
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 彼の詩集の本屋に出たのは三年ばかり前のことだつた。彼はその仮綴《かりと》ぢの処女詩集に『夢みつつ』と言ふ名前をつけた。それは巻頭の抒情詩《ぢよじやうし》の名前を詩集の名前に用ひたものだった。
  夢みつつ、夢みつつ、
  日もすがら、夢みつつ……
 彼はこの詩の一節ごとにかう言ふリフレエンを用ひてゐた。
 彼の詩集は何冊も本屋の店に並んでゐた。が、誰も買ふものはなかつた。誰も? ――いや、必《かならず》しも「誰も」ではない。彼の詩集は一二冊|神田《かんだ》の古本屋《ふるぼんや》にも並んでゐた。しかし「定価一円」と言ふ奥附のあるのにも関《かかは》らず、古本屋の値段は三十銭|乃至《ないし》二十五銭だつた。
 一年ばかりたつた後《のち》、彼の詩集は新らしいまま、銀座《ぎんざ》の露店《ろてん》に並ぶやうになつた。今度は「引ナシ三十銭」だつた。行人《かうじん》は時々|紙表紙《かみべうし》をあけ、巻頭の抒情詩に目を通した。(彼の詩集は幸か不幸か紙の切つてない装幀《さうてい》だつた。)けれども滅多《めつた》に売れたことはなかつた。そのうちにだんだん紙も古び、仮綴《かりと》ぢの背中もいたんで行つた。
  夢みつつ、夢みつつ、
  日もすがら、夢みつつ……
 三年ばかりたつた後《のち》、汽車は薄煙《うすけむり》を残しながら、九百八十六部の「夢みつつ」を北海道《ほくかいだう》へ運んで行つた。
 九百八十六部の「夢みつつ」は札幌《さつぽろ》の或物置小屋の砂埃《すなほこり》の中に積み上げてあつた。が、それは暫《しばら》くだつた。彼の詩集は女たちの手に無数の紙袋《かみぶくろ》に変り出した。紙袋は彼の抒情詩を横だの逆様《さかさま》だのに印刷してゐた。
  夢みつつ、夢みつつ、
  日もすがら、夢みつつ……
 半月ばかりたつた後《のち》、是等《これら》の紙袋は点々と林檎畠《りんごばたけ》の葉かげにかかり出した。それからもう何日になることであらう。林檎畠を綴つた無数の林檎は今は是等の紙袋の中に、――紙袋を透《す》かした日の光の中におのづから甘みを加へてゐる、青あをとかすかに※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]ひながら。 
  夢みつつ、夢みつつ、
  日もすがら、夢みつつ……
[#地から1字上げ](大正十四年四月)



底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
   1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
   1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
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終わり
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