たつた後《のち》、彼の詩集は新らしいまま、銀座《ぎんざ》の露店《ろてん》に並ぶやうになつた。今度は「引ナシ三十銭」だつた。行人《かうじん》は時々|紙表紙《かみべうし》をあけ、巻頭の抒情詩に目を通した。(彼の詩集は幸か不幸か紙の切つてない装幀《さうてい》だつた。)けれども滅多《めつた》に売れたことはなかつた。そのうちにだんだん紙も古び、仮綴《かりと》ぢの背中もいたんで行つた。
夢みつつ、夢みつつ、
日もすがら、夢みつつ……
三年ばかりたつた後《のち》、汽車は薄煙《うすけむり》を残しながら、九百八十六部の「夢みつつ」を北海道《ほくかいだう》へ運んで行つた。
九百八十六部の「夢みつつ」は札幌《さつぽろ》の或物置小屋の砂埃《すなほこり》の中に積み上げてあつた。が、それは暫《しばら》くだつた。彼の詩集は女たちの手に無数の紙袋《かみぶくろ》に変り出した。紙袋は彼の抒情詩を横だの逆様《さかさま》だのに印刷してゐた。
夢みつつ、夢みつつ、
日もすがら、夢みつつ……
半月ばかりたつた後《のち》、是等《これら》の紙袋は点々と林檎畠《りんごばたけ》の葉かげにかかり出した。それからもう何
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