かれこれ》十分の後《のち》、銀座四丁目《ぎんざよんちやうめ》から電車に乗ると、直《すぐ》に又彼等も同じ電車へ姿を現したのは奇遇《きぐう》である。電車はこみ合つてはゐなかつたものの、空席《くうせき》はやつと一つしかない。しかもその空席のあるのは丁度《ちやうど》僕の右鄰《みぎどおり》である。鷺《さぎ》は姉《ねえ》さん相当にそつと右鄰へ腰を下した。鴛鴦《をしどり》は勿論|姉《あね》の前の吊《つ》り革に片手を托してゐる。僕は持つてゐた本をひろげ、夏読まずとも暑苦しいマハトマ・ガンデイ伝を征服し出した。いや、征服し出したのではない。征服し出さうと思つただけである。僕は電車の動きはじめる拍子《ひやうし》に、鴛鴦の一足《ひとあし》よろめいたのを見ると、忽ち如何《いか》なる紳士《しんし》よりも慇懃《いんぎん》に鴛鴦へ席を譲《ゆづ》つた。同時に彼等の感謝するのを待たず、さつさと其処《そこ》から遠ざかつてしまつた。利己主義者《りこしゆぎしや》を以て任ずる僕の自己犠牲を行《おこな》つたのは偶然ではない。鴛鴦は顔を下から見ると、長ながと鼻毛《はなげ》を伸してゐる。鷺も亦《また》無精《ぶしやう》をきめてゐるのか、髪の臭《くさ》さは一通りではない。それ等はまだ好《い》いとしても、彼等の熱心に話してゐたのはメンスラテイオンか何かに関する臨床医科的の事実である。
爾来《じらい》「夏の女の姿」は不幸にも僕には惨憺《さんたん》たる幻滅《げんめつ》の象徴になつてゐる。日盛りの銀座の美人などは如何《いか》に嬋娟窈窕《せんけんえうてう》としてゐても、うつかり敬意を表するものではない。少くとも敬意を表する前には※[#「均のつくり」、第3水準1−14−75]《にほひ》だけでも嗅《か》いで見るものである。……
[#地から1字上げ](大正十三年六月)
底本:「筑摩全集類聚 芥川龍之介全集第四巻」筑摩書房
1971(昭和46)年6月5日初版第1刷発行
1979(昭和54)年4月10日初版第11刷発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2007年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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